身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

ストレス耐性。

 過労の次はストレスに対する耐性の話である。1月4日のエントリーに、過労によく耐えたなぁと書いたのだが、過労というか疲労よりストレスに耐えかねて、今日は午後4時半まで寝てしまった。

 実は、昨日の夜というか夜半というか、使っている活動量計を買い替えたいと思っていたのだが、メーカーのキャンペーンらしく、期間限定で欲しいモデルが3,000円ほど安くなっている。

 ちなみに某販売店のレビューを見ると、今より1万円高い時期に買った人のものが載っていて、その値段でも買って損はなかったと思うので、今の価格ならコストパフォーマンスは、かなり良いといえるというのを見てしまった。

 過労なんてヘーキ・ヘーキと思っていたのだが、やはり心労が溜まっていたのかもしれない。思わず、夜中にポチッてしまった。そして寝て、未明に不安になって目覚め、慌ててキャンセルの依頼をしたが、どの販売店も(本体は家電量販店、アクセサリーはAmazonに出店している中国の業者から買った)すでに遅し。

 もう、慌てて、起きたら区の生活・就労支援センターに電話をした。このセンターは、それはプライバシー的にどうかと思うが、生活の立て直しということで家計の改善にも関与しているのだ。

 そうしたら、そんなこと、些細なことですよ、買ったからには使い倒してやろうとくらいに思ってくださいと言われて拍子抜けがした。私は、自分で金を稼いでいたときは貯金をした以外は自由に使っていたが、子供のときから金を自由に使わせてもらえたことがなく、特に、今のように全家計を親に頼ってからは、300円の牛丼を食べるのさえ親の許可を貰い、そのたびに罵倒されるという日々が続いている。

 なので、私には金を使うことは罪悪と思えるのだ。かつて、万引き… というか、場合によっては店の物を引ったくるに近いことをしては捕まり、有罪判決を受けたのだが、これは今の主治医にはストレス耐性がないからだと説明されている。私自身は、こういう行動に出るのは、やはり金を使うことに対する罪悪感があった気がする。

 物を買ったときには良いのだが、その直後には、金を使ってしまったことに対する恐怖というものが込み上げてくる。しかも、今回は、前々から欲しかったもので、1万円、下がったときには品薄になり、よほど買おう買おうと思っていたのにだ。

 キャンセルが不可能と知って返品という選択をしなかったのは、これも、返品送料が勿体ないという気持ちがあったのだと思う。しかし、後悔しから午後4時半まで寝込んでしまったのだ。疲れには強いのだが、そういう、心理的ショックというかストレスには弱いようである。

 こういうことを客観的に分析するために、やはり物を書くことは有用なようだ。しかしながら、今も眠くて、ミスタイプも多いし、自分でも、何を書いているのかという感じがする。文章がガタガタなのは自覚しています。少し早いけど寝ます。

 

 

1月8日付記

暗い話になったので、この辺を貼っておきます。

森高千里 「ストレス (25周年記念Ver.)」