身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

外的要因でなく。

 昨日に続いて煮え切らないエントリーである。特に感情が動くようなことはなかったので仕方がない。ただ、書かなくてはという思いだけが強くある。

 どうせ叔父のことだから酔って覚えていないだろうなと思ったら、今朝はTVを早朝から付けていたものの音量を絞ってくれていて、ゆっくりと眠ることができた。

 しかし、やはり恐怖感に襲われて目が覚める。その恐怖感の原因というのが、いまひとつ判らないのだ。しかし、それで身体が動かないことによって、定時に会社に行けないなどと、さらなる恐怖がある。

 母は電気代だけで月に3万円という生活をしていて、本人は、身体が動かないから仕方がないと言う。確かに、ストーブの灯油など入れられないし、電気ストーブなど使って火事を起こされては困るなと思う。

 今まで、実家の仕送りで生活していたものの、父の死亡により、収入は「だいたい半分」になったという。さらに、先月半ばから預金が動かせないという。

 今月、私は障害基礎年金が支給されないので実家からの仕送りがなければ生活できない。仕送りがなければ1ヶ月も生活ができないのだ。

 恐怖で起きられないと、定時に起きて会社に行くということができないという不安を呼び、さらに恐怖になる。

 しかし、身体が動かないのだ。昔は午前9時には会社でPCを立ち上げて仕事ができていたではないか。半年前にしたって、午前7時に起きて1日2万歩、歩いていたではないか。

 同様に、勤めを辞めてから15年が経ち、その間の記憶もないので、感覚としては30歳前後で止まっているから困ったものである。長時間労働に耐えられない。

 あと、旅行をするのが怖い。私は飛行機が好きで、当時はバーゲン運賃といって期間限定で2ヶ月前に予約することを条件に、どこに行くのも1万円という航空券があった。東京からだと運賃が最も割安な沖縄まで、年に何回も行っていた。

 ちなみに、沖縄に行ったときが飛行機に乗った初めてのときで、午前5時半発の飛行機を予約したら空港までの始発電車が走る前で、タクシーを使ったために運賃がほとんど変わらなかった。

 定時に会社の机の前に座ることも、旅行に行くことも、遠く、途方もないことに思える。そうなると、生きていくこと自体が途方もないことに思える。

 起きたときの恐怖に端を発して、これだけのことが芋づる的に恐怖として襲い掛かってくる。今回は、別に叔父に起こされたわけでも足を引っ張られたわけでもないのに、結局、布団を出たのは正午過ぎだった。

 叔父に起こされたときなどは、本当に雑巾みたいにボロボロになっていて、普段とは違う、生きていくのが辛いという妙な思いに駆られたのだが、今日は、恐怖を感じるものの、それがない。今になると、過労による辛さだった気もしなくはない。

 努力できないときがあるのだから、努力できるときにはしなくては。活動できる時間は、健康な人の半分もないのだから、弱気になっている場合ではないと、自分に言い聞かせている。