身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

お前は障害を言い訳にしていたのか?

 今日も朝から申請書の作成と手続きに追われている。しかし、精神障害のせいで思い通りに行かない。ものすごく簡単な例だと、住所と本籍地を書く場所を間違える。それですら間違えるのに、母の住所と… などと他の要因が入ってくると、もう判断ができなくなる。

 障害者施設に相談に行ったら、他の利用者(精神障害者)からは新聞も読めなくなるという声も聞かれるという。私は、読む方は、まだ何とかなっているが、書く方が捗々しくない。小学生でもしないような誤字をしたり、出てこない字も多い。

 書けなかった漢字をスマートフォンで調べながら書いているので、そのまま入力して残してあるのだが、今日1日で書けなかった漢字は以下の通りだ。

  • 消耗
  • 隔離
  • 誇張
  • 綺麗
  • 疎遠
  • 係累
  • 変遷
  • 慰める
  • 厄介
  • 利益
  • 署名
  • 捺印

 中には難しいといえるかもしれない漢字もあるが、義務教育で習う漢字ばかりだ。そういうものが書けなくなるし、キーボードで、どのキーを叩いていいのかも判らなくなる。

 ここのところの一連の出来事で書類整理をしているのだが、サラリーマン時代に上司から貰ったEメールの控えが出てきた。「事務処理能力の低さに呆れる」「健康管理に失望している」などの文言が出てくる。

 しかし、それを「障害だから~」などと言ったら、それはその時点で、自らを欠陥商品ということなのでクビ確実だ。実際、私は障害が会社にバレてクビになった。ちなみに一部上場の経団連加盟企業である。

 さて、そこに東京都のポスターの「障がいは言い訳にすぎない。負けたら、自分が弱いだけ。」のキャッチフレーズに関するニュースである。東京都の思慮の浅さは色々なニュースで指摘されているので述べない。

 問題は、その発言の源だ。この人の発言としてなら許せるという意見が取り沙汰されているが、私は看過できない。発言者は障害者スポーツの選手だという。健常者の競技では障害を言い訳にしていたが、障害者の競技では、そういう言い訳ができないという趣旨らしい。

 大企業という“ぬるま湯”にいた私ですら障害をオープンにすることさえ考えられなかったのに、発言者がオープンにした挙句に言い訳にしていたというのは、同じ障害者として腹立ちを覚える。障害者というのは助けてもらわなければいけない存在なのに、言い訳とは何ぞや。

 変な感情を抱くのが嫌なので、なんという競技なのか、敢えて調べないが、その競技にも失礼だ。弱さを言い訳で誤魔化していた甘い選手が勝てるような競技なのかという捉え方をしてしまう。これを、認識を改めさせた素晴らしいスポーツだと感じないのが、私の感受性の乏しさなんだろうな。