身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

精神障害者になっても私の性格は変わらない。

 今日も朝の4時に心臓の痛みで目が覚めた。訪問看護師さんの勧めで枕元に飲み物を置いておいたのだが、幸い、それを飲んだら痛みも収まり再び寝ることができた。しかし、汗をぐっしょり書いて目が覚めたのだが、午後4時まで起きられない。スマートフォンも電話の発着信をするのが精一杯。平衡感覚が変で、起きたら派手に転んだ。

 区の精神障害者地域活動支援センターに電話をしたら、食欲がなく、5日間、何も食べていないし味も判らないと言っているのに、外出して美味しい物を食べれば元気になれると言われた。ちょっと前、「後悔先に立てという理不尽」で書いたが、この施設、この人に相談したのは無駄だったと思う人がいる。普通に行動すれば精神病が治るのだったら、普通に生活している人間が精神病に罹るはずがない。私だって一部上場企業で専門職をしていたのだ。

 以前、通っていた床屋で、学生時代はスマートな体形で(当時、身長180㎝・60㎏、現在の袴田吉彦さんと同じ、今は110㎏)優しくて頭脳明晰だったのに、それが今は何だ! と煩く言われたことがある。床屋のオバサンにもハッパを掛けられたと思って頑張りなさいと言われるのだが、決して私という人間が変わったのではない。

 私は努力が好きだ(苦労は嫌だけど)。そして、他人の役に立つことが好きだ。そうできているのか判らないが、そうしたいと強く思っている。気持ちは変わらないので、それができないことが、どれだけ苦しいか。やらないからしないのではなく、したくてもできないのだ。なので、それをサボるために言い訳をしていると言って傷口に塩を塗り込むようなクズ医者は、自分の仕事に誇りや遣り甲斐がねぇからじゃねぇの、と思う。

 精神障害者ではなく身体障害者になったスポーツ選手に置き換えてみよう。例えば足を失ったマラソン選手に、昔は良い記録を出していたのに、なぜ今は走らないのかと言えるのか。走る足がないのは走りたくなくなったから足を切断したんだろうと言ったら単なるバカである。怪我をせずに走り続けたかったのが普通だろう。同様なことは精神障害にも言える。私だって、ゴロゴロしたいために、遣り甲斐のある仕事、それに見合ったサラリーや社会的地位、他人からの敬意などを捨てたのではない。できなくて一番、苦しいのは本人だ。

 

P.S. 精神科の看護師さんと話をしたが、クズ医者のような医師は意外と多いそうである。そういう医師は患者が死んでも(自殺もあるが、やはり身体症状も多いそうだ)医者だから責任を追及されないと平然としているそうだ。