身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

生きるのが嫌になったら死ぬ気で。

 昨日の厭世観が抜けない。生きるのも嫌だが死ぬわけにもいかない。駄目なら駄目なりに頑張るをモットーにしてる私は、今の自分にできることを考えた。

 気力がないということは、逆をいうと苦痛も感じないことでもある。無理してやるので疲労感が大きいかと思うと、私の経験では、そうでもない。不感症だ。

 ほとんど記憶にないのだが、20歳代に失業していて先が見えなかったとき、その気持ちを紛らわせるために平和島にあるTRCまで、毎日、往復、ジョギングをしていた。

 往復で20㎞というハーフマラソンに匹敵する距離で、体育の成績はずっと5段階評価で1だった私にしては、かなりハードだったはずだ。

 ただ、親は口を出すのに(勤めていたときは勝手に私の部屋に上がり込んで、ワザと荒らして行く始末)金を出さず、無職の私は家賃だけで気が重くなった。

 バブルだったので、6畳もないワンルーム、しかもゴミ捨て場の前ということで特別に安かったのに家賃は8万円という部屋だった。

 そこまでハードなことをしなければ、現実から目を反らせることができなかった。そこまで自分を痛めなければ、現実が視界に入り込んできた。疲労感を感じなかったのは、それで相殺されたせいかもしれない。

 それが良かったのかどうか判らない。しかし、今の自分にできることといったら健康づくり=ダイエット、歩くことだけだ。バスで渋谷に行き、そこから歩く。

 以前、渋谷駅東口の歩道橋の架設についての写真をアップしたことがある。こんなモジュールが用意してあって、それが移動して取り付けられるのだなと思った。

 今日、渋谷駅をハチ公口から東横線の地下駅を通って渋谷ストリームに出る途中、写真展示と動画のURLが貼ってあった。

 午前9時前の渋谷駅で、そんなものに目を向けている人はおらず、ひとり、スマートフォンQRコードをスキャンしていた。その動画が、こちら。


リフトアップ架設

 

 途中から定点のタイムラプス動画となり、非常に見ていて面白く、ためになる。ちなみに、国道246号線の金王坂下から道玄坂上・池尻方面を見たアングルだ。

 恒常的に歩くようになったせいか、そのまま家まで難なく歩けた。ただ、途中で歩きスマフォしている人にぶつかられて、しかも舌打ちまでされてムッとした。

 通勤する乗客で溢れる行きのバスの中でもTシャツにチノパン・スニーカーの私は奇異な目で見られ、空いている席がないのに隣には誰も座らなかった(まさか5分おきで走っているバスで座れないほど混むとは思わなったよ)。

 なぜか、歩きスマフォ人といい、他人の行動に過敏になり、いちいち腹が立つ。そんなことが気になるのは、自分のイジメ方が足りなかったのか…。

  そのように思うのなら、まだまだ本気ではなかったのだと思うし、腹が立つ程度に感情が動くのであれば、本来やるべきことにも力が注げたのではないか…。

 いずれにせよ、なにか半端なことをしてる気がした。そして、なぜ、これだけ頑張っているのに勤めが続かないのだと、やはり、そこに目が行ってしまう。