身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

三つ子の視点は百まで。

 「三つ子の魂百まで」という言葉がある。私の場合だと、短気な性格というのは歳を取っても一向に直らなくて、この言葉を実感する。

 今回のテーマは性格ではなく幼児学習についてだ。実は、今日、友人による次のFacebook投稿を見て、その重要性を認識した。


 



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 という数列(?)でn番目に来るのが何かと考えていて、ピタゴラス素数がどうだこうだと書いている(その言葉を私は知らない)。

 そして、私が、これって底辺n、上辺1、高さnの台形で

(n+1)×n÷2

じゃないの? と書いたら終わってしまって、この人たちは「いいね!」をしてくれたので良い方である。

 

 さて、先日、洋服屋ジーンズを見に行ったときのこと。ジーンズのサイズはインチで表示されている。1インチは2.54㎝だ。

 そして、私のウエストが何㎝だから… と、電卓を出して計算している人がいた。これも、私は、簡単なソリューション(笑)を提示することができる。

 2.54㎝≒2.5㎝=5/2㎝である。なので、㎝を2倍して5で割ればインチが出る。逆にインチを㎝に直すには5倍して2で割れば良い。

 こうやって、ひっくり返すことで分数の割り算という概念も学べるのか、逆に分数の割り算を知っているから、ひっくり返すことが可能なのかは知らない。

 

 私は同様に普通の人が方程式を使うことでも、簡単なものなら鶴亀算とかで解いてしまう。「いいね!」するのは良い方というのは、それを手抜きという人もいるからだ。

 私が通っていた高校もそうで、特待生だから渋々と行ってやったのに、手抜きとされ体罰を食らわされた。私は退学になったのを誇りに思っている。

 ちなみに入学時に75あった私の偏差値は30に落ちたが、その高校の内申書定期テストの点数しか記入されない。東洋大など、不合格になった理由も通知してくれるのだが、そこには学力以外の理由と記されていた。

 偏差値40だった生徒を暗記だけで東大の理Ⅲにまで入れてしまうのには恐れ入るが、それらの学生が応用力がなく理Ⅲに行っても医学部に入れないのは当然だという気がする。

 そんな人は、私から見れば頭が弱いのだなと思うのだが、私は、どこで、その「強い」頭を手に入れたのかと考えたら、小学校のときに通っていた学習塾だ。

 私は、小学生のとき、中学受験もしないのに四谷大塚進学教室に通っていた。友達の付き合いで受けたら受かってしまって、面白そうだから通った。

 当時はズボンのサイズではなかったが、実際に結果が目に見えて楽しかった。頭を使うことが楽しい、それを教えてくれた学習塾だった。

 小学生の子供を持つ同級生に聞いた話だが、これは、塾の、良い教材を作る才能によるものらしい。そいつが子供の塾を選ぶときは、自前の教材を使うことが大前提だという。

 

 私は、あまり知識というものを持っていないし、それは、それでいいと思っている。漢字を知らないのは教養がないという人がいるが、部首と音読みなどを考えれば、知識がなくても意外と出てくるものだ。

 また、仕事効率は落ちるかもしれないが、頻出しないものは辞書を引いたりネットで検索することも悪いことではないと思う。

 さすがに自分が住む都道府県の県庁所在地くらいは知らなければ困るけど、子供のときの教育は、こういう視点を持たせることに重きを置くのが良いのではないかと思う。

 学習とは、頑張ったら頑張っただけ「強く」なるものではなし、しかし、それは、けっして、天賦の才能だけが物を言うことでもない。