身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

暗澹たる気分。

※音が出ます。

 

 実家で1泊して帰ってきました。映像は帰りの電車の車窓から。3分くらい撮った気になったのですが40秒しかカメラを回していませんでした。(苦笑)

 

 さて、村松友視先生が、書くことは考えることといいましたが、昨日、家に帰るのが途方もなく感じたことについて、自分でも考えてみました。

 私は普段、日記を付けていて、日記とこのBlogとは連動していないのですが、今日は珍しく同じ内容について書きます。

 親を寂しがる子供の感情とは違うのですが、昨日、妙に居たたまれなくなり実家に行きました。

 昨日も書いたように、実家は都心から1時間、寓居からも1時間半から2時間くらいで着き、いつでも帰れる場所にあります。

 室生犀星の「帰るところにあるまじや」ですか、「まじ」は打消意志・打消推量(まだ受験時代の記憶が残っているなぁ)だから「ぜったいに帰るべきところではない」というような意味でしょうか。

 私は、長年、実家に帰ることを許されていませんでした。20年以上になります。

 そもそも、実家を出たのは、私が高校を退学して、世間にみっともないからと言われたことです。

 麻布のハイソな暮らしといったところで、江戸時代に作られた掘っ立て小屋のようなところですから、嘯(うそぶ)いているわけです。

 まぁ江戸っ子は虚勢を張ることが生まれ付きみたいなところがありますから、本気にする人はいました。

 実際は、帰るところなんてありませんでした。それが、2・3年前から情勢が変わりました。

 私が実家に行くと上げずに追い返していた両親が、私を家に上げるようになりました。

 親も弱ってきたんでしょうね。家の鍵など絶対に渡さないと言っていたのが、私に鍵を預け、気持ちが悪いことに小遣いまでくれました。

 ベルリンの壁崩壊ではないですけど、それからは怒涛のように関係が近くなりました。

 

 なんか、”身の上話“的に書こうと思ったのですが、どうも上手くいかないので、話を昨日に戻しますね。

 昨日、私は、本当に、何かに急き立てられようにして実家に行きました。本当、親が恋しいという感情とは違うのです。

 親の60歳代~80歳代を知らないので当然ですが、親が急激に老けたような感じがして、なんか、気が抜けたような気しました。

 昨日、リアルタイムで書いた「途方もない」というのが、いちばん感情にピッタリ来ている感じがします。

 昨日は日帰りのつもりで行きましたから、これから家に帰るのが、本当に一大事のように思えました。

 ちょうど1週間前に戯れ言のように書きましたが、人は生きていくのは大変で、それは皆、同じこと。

 その大変さを、身をもって示してくれているのが目の前の両親という感じでした。

 この歳まで生きていく、そして生き続けなければならないことが、とてつもなく大変なことに思えました。

 生きていくのが大変となると、食事をするのも、息をするのも大変なように思えました。そうなると、家に帰るのなんて一大事です。

 

 また文章が散漫になってきました。どうも、私は、きちんと構成だった文章を書くのが苦手なようです。

 目の前のことも、きちんとできない私のとって、将来、寿命を全うするまで生きることを考えると、暗澹たる気分になるのです。 

 

明日からは文章の質を上げよう…。