身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

努力できない口惜しさ。

 昨日、書いた文章の質を上げることの一環でタイトルを見直している。文章の質を上げると、伝えようという意図のほうが先立ち、内容が少なくなってしまうのが難点だ。

 さて、3日前のエントリーだが、タイトルが「苦悩。」では、伝わるものも伝わらないので、重なるところもあるが改めて書く。もっと読みたいという方は、そちらを参照されたい。

 

 今日も起きられなくて横になったまま苦しんでいた。寝坊していたくて横になっているのではなく、起きようと思いながら起きられないのだ。

 私は無職なので、周りに無職の人が多いのだが、彼らはゴロゴロしてTVを観ていれば幸せだと言って憚らない。しかし私は、自分の生活をより良くしたい。

 もし、私が、生活保護を受けて一日中TVを観ている生活をしていたら、自分で自分が許せないと思う。それは果たして強欲なのだろうか。

 私は、自分が食べたいものを食べたいし、行きたいところに行きたい。それは例えば1,000円ランチだったり東京郊外だったり、そんな大した夢ではないと思う。

 それでも、私にとっては贅沢だ、分不相応だという人がいるかもしれない。しかし、それに見合う程度の努力はする気はあるし、したいと思っている。

 夢に見合う程度の収入があればいい。出世したいとか名誉が欲しいという欲望はないし、家族が欲しいという気持ちは20代で諦めている。

 しかし、幸せになりたいという気持ちは自体は諦めることができない。そして、私のとって幸せなのは、ゴロゴロしてTVを観ることではない。

 別に彼らの生き方を非難しているではなく、自分にとって、努力もせず最低限度の生活に甘んじることは幸福ではないだけだ。

 幸福を追求する権利は、自然権ではなく希求権だが憲法で保障されているはずだ。それを行使したいのに、健康上の理由でできないのが、ものすごく口惜しい。