身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

SNSに映る作家。

 最近、朝、起きられない。目は覚めているのだが起きられない。午前9時の始業と同時に某町役場から電話があって、意識はハッキリしたものの、どうも起きられない。

 仕方がないので手元のスマートフォンFacebookを見る。もう、タイムラインは見飽きてしまって、「知り合いかも」を探索。

 どうして「知り合いかも」と判断されるのか判らない人のプロフィールを見ると、その友達に作家や写真家の名前があったりする。あるいは本名、あるいはペンネーム。

 だいたい、ペンネームで登録してある作家が危ない。危ないというのは政治信条が変だ。どちらに傾いているというより安倍親衛隊みたいなのが多い。

 その点、写真家はフォトジャーナリストの影響を受けている人が多いので真っ当である。政治的発言もあるが、左右どちらに傾いていても違和感は覚えない。

 本名で登録してある作家は非公開で活動している場合が多い。私も本名で登録してあり非公開だが、あまり過激なことは書いていない。

 星新一先生は、作品を発表するときに3つのタブーを課していると聞いた。政治とセックスと、あと1つは忘れた。バイオレンスとか、その類だろう。読むのは好きだけどね、とは言っていたが。

 洋服のドレスコードではないが、私が見る場合、だいたい、社交の場で政治の話をするのはバカである。ヘインズのTシャツ1枚で来るのとは違い、こちらは、明らかに酒が不味くなる。そして、そういう人に限って空気が読めない。

 『永遠の0』の愛読者だけど百田尚樹の発言を聞いてガッカリしたという女の子から相談を受けたことがある。こんな作家の本を出すのは幻冬舎くらいだと思って幻冬舎の本は買っちゃダメだと言ったら講談社から出ているらしい。

 私の家には幻冬舎の本が1冊もない。見城徹の顔を見ただけで反吐が出るのに、そいつが自らヌードになって、それを描かせたトレードマークの付いた本など破れといっているに等しい。

 見城徹は、角川書店にいたときから「あんな風」であったらしい。私はそれを、出版人より商売人と受け取った。

 それとは別に、村松友視氏の『時代屋の女房』も見城の手によるが、何かに安原顕が『時代屋の女房』の見城の朱が入った原稿を見たときの感想が載っていた。なるほどと思う感想だった。

 幻冬舎を作って独立してくれたことで、KADOKAWA角川春樹氏は、ある意味安全である。