身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

聞くことは理解すること、書くことは考えること。

 体調が悪く、今日は臨時で通院した。主治医には常々ワーキング・メモリーが少ないと言われるが、今日も何を言われたのかアップアップ。

 かなり厳しいことを言われたのだが、今の先生は厳しいことを言うようだし主治医を変えたらどうですか? と言う人がいる。

 前任のクズ医者のように現実を全く見ない主治医なら変えるに値するが、言っていることが当たっているうちは変えようとは思わない。

 さて、そんな小さなワーキング・メモリーを支えるのは繰り返し聞くことだ。それを聞いて自分の考えを文字に起こすと、だいたい、咀嚼できる。

 今、来ていただいている訪問看護師にも、感情を言葉で表現することで何かいいことがあると言われた。何が良いことだか忘れた。

 これを覚えていないのは、ワーキング・メモリーよりも記憶の持ちである。しかし、老化しているわけでもないのにワーキング・メモリーも記憶の持ちも歳とともに悪くなっている。

 常にボイスレコーダーを持ち歩いているのならいいが、今の主治医は、特に何かない限り3分診療である。

 その代わり、今日のように特に何かある場合は待っている患者が多くても時間を掛ける。なので、ボイスレコーダーを回すタイミングというのが判らない。

 前任のクズ医者のときは、こんな酷いことを言われたという証拠のためにボイスレコーダーを回していたのだが、ボイスレコーダーのストップボタンを押すときは秒単位まで同じ時間だった。

 他の患者も割り当てられた時間ピッタリで、皆、これだけ同じだと、症状が良かろうが悪かろうが関係ないという風に捉えられる。

 しかし、私のボイスレコーダー、電源を入れてからスタンバイするためにPCの起動くらい時間が掛かるのだが、そういうものだろうか。オリンパスのV-803という機種である。