落ち込んでいる。
辛くなったら酒を飲み、テレビを見るのが楽しみ。働きもしない(できないのだけど)で自分は何をやっているのだろうと思って落ち込んでいる。
以前は「休載。」とか書いていたのだけど(なぜかアクセスも多かった)、少数ながら毎日、読んでくれる人がいるので、無理してアップします。
酔って書いた文章で、よほど出さない方が良いかと思いました。文章の質を高めようと思っているので推敲をしたいのだけど、その余力もありません。
酔っていますので、それなりに捉えてください。しかし、私が私淑する作家先生も「酔眼朦朧ならず」といっていて、酔ったからこそ本音が出るのかなと思っています。
さて、私は母親が東京(当時の麻布区本村町、住居表示で本村町は元麻布と南麻布に分かれたけれど南麻布側)出身で、私の出生は東京だけど千葉県松戸市育ち。
その前は、紀尾井町に住んでいたらしい。らしいというのは、親が教えてくれないのだ。親をケチっているなと思ったことがあるが、親も知らないようだ。
母の兄、つまり私の叔父は、番町小→日比谷高校→早稲田大学政治経済学部と進んでいるらしく、それが母の自慢で、そういう学歴があるから知っているのだ。
ちなみに、その叔父は、大学在学中(私が生まれる、ずっと昔)に、たしか肺気胸か何かで死んでいる。私自身、物心ついたときには祖父祖母は、母方・父方両方死んでいるので判らない。
肺気胸で死ぬのかどうか知らない。肺結核と間違えたのかもしれない。今では肺結核では死なないように、これらの病気で死んだのかも知らない。まぁ夏目漱石も胃潰瘍で死んでいるし。
先にケチっていたと書いていたが、親は悪い情報は私に与えない。良いことだけを出して、それを見本にしなさいと言う。
良いのか悪いのかは知らないが、私が小学生のとき、朝日新聞の「下町」という連載を好んで読んでいた。そうしたら、母親に「あなたは山の手の出身者なのだから、それに相応しいように」と言われた。
ちなみに私の生まれは文京区本郷だ。文京区というと最近では「谷根千」が流行りで、荒川区出身の母親には、これらが下町とされることに忸怩たる思いがあるらしい。
ここまで書いて、父親の出自について書いていなかったので、急ながら書く。父は明治から横浜(それまでは小田原)で、父は東神奈川(横浜市内)の出身。
ここで酔いが冷めた。えーっと、何が書きたいのか…。(^^ゞ
まぁ、父が横浜出身、母が東京出身で私が東京出身で、母方は、その先の代まで確認が取れているから、三代続くのが江戸っ子といえば、私は江戸っ子だ。
私は今年で47歳。もう半世紀も東京にいることになる(松戸も含まれるし、もっと言えば高校は茨城県だったが… 茨城って、イバラ「ギ」ではなくイバラ「キ」って読むって知ってました?)。
都会は移り変わりが激しいというが、私は東京以外の都会を知らない(九州・四国に至っては未上陸)ので比較での話かできないが、目まぐるしく変わっている感じはない。
しかし、以前にも書いたが、東京出身者が東京に住めないというのは、どういうことなのか。
寓居も再開発エリアに入っているから立ち退きだろうし、前に住んでいた南麻布の家は今では億ションが建っている。
よく、立ち退きに反対する人が金ではないんですというのを聞いていて、だったら、何だと思っていたのだが、いざ、自分の番になると、たしかに金ではない。
私が幼少期を過ごした松戸市小金原というところは、今では過疎だが、当時は常磐線のビバリーヒルズといわれたところで、住環境も悪くはなかった。
これも書いた気がするが、小金原という町は団地町で、分譲共同住宅・賃貸共同住宅・一戸建てからなっている。
私は一戸建てに住んでいて、同じ学区には賃貸の分譲住宅があった。しかし、そこがリトル港区という感じ。
なぜか知らないが、私の学区には、私を含めて港区出身者がたくさんいた。特に青山団地出身者が多く、青山=賃貸集合住宅・麻布=一戸建てというイメージの縮図だねという話をしていた。
勝手に私が興味深いと思っているだけかもしれないが、東京ならではの面白い話をひとつ。
盆正月に郷里に帰る人は多いと思うが、我々(私と同級生たち)には帰る郷里がない、というか、あるけど地元だ。
したがって、帰る場所はトーキョーということになる。その結果、お盆に、互いに親を連れた同級生に会うのだ。
会う場所は、いちばん多いのが銀座のデパートの食堂。今では高級飲食店は沢山あるが、当時はデパートの食堂だった。子供も連れて行けるしね。
食堂はデパートの上層階にあるのが普通で、当時でも時代遅れの感じがした、エレベーターガールが運転するエレベーターで上がる。
運転すると書いたが、その当時でも自動運転のエレベーターが多い中、エレベーターを上げ下げするタイミングやドアの開閉まで手動なのだ。
これは演出のためだったと思う。ここで続けて書こうと思ったエピソードは、酒が覚めて恥ずかしくなったので割愛する。
まぁ、行くところは、デパートの食堂くらいしかなかった訳です(今度、銀座・日本橋に行ったら、その後、どうなっているか調べてみよう)。
私が住む松戸から伊勢丹がなくなり、隣町・柏でも、そごうがなくなったという。もうデパートの時代は終わったのだろう。
そういう時代の変遷を、目まぐるしいとは私は思わない。だって、明治に入って、まだ150年。近代の歴史がそれしかないのに、他の時代と比べることはできない。
その間、2度の世界大戦があったりしたけれど、半世紀、東京に住む私の周りに、話に行く大戦や敗戦を超える大きな変化はない。
何が書きたいのか解らなくなったので、底が浅くマトメます。東京は狭いし変わっていない。自分を変えるのは東京ではなく私自身だ。
神田須田町の歯医者に行って、今さっき帰りました。ウィンドウショッピングしていて遅刻するところだった(笑)。古書の町、健在で嬉しい。
そして、静謐という言葉が相応しい文房堂画材店。この店に入って絵の具の臭いを嗅ぐの大好き。
母校(神田外語学院)の並びにある栄屋ミルクホール。私は高校を出ていないせいか、母校というものに強い思い入れがある。大学生の皆さん、大学野球などは、ぜひ母校を応援してくださいね。
少し、気持ちは取り直したかな。しばらく、乱高下すると思いますが、よろしくお願いします。See you tommorow!