身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

「白い巨塔」と「アメイジング・グレイス」。

 2日間、眠れなかった翌日は、さすがに辛くて、昨日も書いた『白い巨塔』ネタで引っ張らせてもらう。正直いって、自分でもPCを前に何を書いているのか解らない。検証する以前に事実に反すること、それに基づく説をたくさん書いてると思う。ご容赦を。

 昨日は、まだだと書いたが、地元の区立図書館で『白い巨塔』の原作を借りてきた。私の住む区は図書館の充実ぶりが有名なのだが、人気作で区内に6セットあるうちの5セットが貸し出し中、1セットも遠くの図書館にあり、今日中の取り寄せは不可。全集の中から該当作が含まれている物を借りてきた。

 今回はエントリーのタイトルで「アメイジング・グレイス」と「白い巨塔」の、どちらを先に持ってこようか悩んだ。他人のBlog「と」で繋ぐタイトルは良くないという文章を目にしたが、それが悪いとは私は思わない。私淑する小説家の村松友視先生は「の」で繋ぐタイトルばかりだ。

 そして「白い巨塔」を先に持ってきたのは、読者が、そちらからアプローチする可能性が高いのと(当BlogはSEO対策はしない方針)、やはり原典に当たるぐらい、それに集中しているからだ。前書きは、このくらいにして、本文に移る。


Hayley Westenra - Amazing Grace (Live)

 

 TVドラマ「白い巨塔」(唐沢寿明版)の主題歌である英語曲「アメイジング・グレイス」は讃美歌にも加えられている。上記YouTube動画は、TVドラマ主題歌と同じHayley Westenra(ヘイリー・ウェステンラ)が歌うもの。

 私が若いときは、あまり広まっていなかったのが、奴隷貿易の帰りの船、すなわちアフリカからイギリスに奴隷を連れて帰るときの船で、奴隷たちを目の前にして、人間は平等という事実、それに疑問を感じない自分は何様だとイギリス人が思うエピソードだ。(ここで思わず「白人が」という主語を書いてしまった私は、アメイジング・グレイスを、まだ聞いていないのか。)

 最近になって、このエピソードが広まったせいか、私が子供のときに聞いたのとは、曲の解釈が、かなり違う。上の私の説明を読んで違和感を覚えた人も多いはずだ。ただ、主題として最大公約数としては、自分の愚かさ・傲慢さに気づくという点は一致するのではないかと思う。

 もう一点、最近の解釈というか翻訳で、ちょっと気になるのは、"Amazing Grace"という言葉が「神の恵み」と訳されていることだ。そんな甘いものではない。自然主義文学者でも「神の啓示のように」という言葉を使うが、それに近い。目覚めだ。

 TVドラマの主題歌としては、当然、主人公・財前五郎が、死を間近にして同様なことに気が付くということだが、この選曲は、TVドラマより原作に忠実に選んだのではないのかということだ。

 原作でも里見は財前のことを「いやな奴」と思っているが、良きライバルとも思っている。財前が、遺書を、そのライバルであり友達である里見に書くのは、ちょっと違うのではないかと思う。

 原作では、遺書は(解剖の所見として)大河内に対して書かれたことになっている。大河内というのは原作ではTVドラマ以上に厳格な厳しい人に描かれていて(例えば独身を貫いていることなど)手術を依頼した東、そして大河内と、より崇高な存在に向けたものだと思えるのだ。

 (ちなみに原作ではベートーヴェンの『荘厳ミサ』が使われている。)