身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

鬱と寝不足の近似点と相違点。~仕事ができなくなることについて~

 昨日から、まともな文章を書けていない。今日も惰性で書いているような文章になるが、許してほしい。しかし、まだBlogを始めて4日目だが、文章の質がアクセス数(PVしか判らないけれど)に如実に反映されて驚く。

 記事を引用してもいいのだが、わざわざリンク先を読む必要もないので、軽くおさらい。3日前の夜は、鎌倉に死にに行ったことを思い出して眠れず、そのことを文章にまとめ、Facebookに投稿した。一睡もしていない。

 2日前の夜は酒を飲んで睡眠が中断し、早朝覚醒。睡眠時間3時間半。そして、問題は昨日だ。特に何かしたわけでもない。むしろ、睡眠不足が溜まっているので熟睡できると思っていた。午後10時には眠くて作業ができず、寝た。

 すぐに眠りに落ちた。しかし午前1時半には目が覚めてしまい、午前4時過ぎまで眠れなかった。それなのに、午前6時前には目が覚めてしまい、到底、二度寝はできそうにない。起きて事務に取り掛かるも、もう、仕事にならない。

 ネットにログインしようと思っても他のサイトのID・パスワードを入力してしまう、何度かトライしても、今度はスペルが間違えている…。そして、何よりも不機嫌なのが自分で判る。誰が悪いわけではないのに、Twitterで文句を呟いている。

 

 これを書いている今は正常に仕事ができている(つもりな)のだが、これって鬱が酷いときの症状に似ているよなと思った。しかし当人の気持ちの問題としては鬱のときと寝不足のときの状態は、まったく違う。

 ここでは「仕事」を「判断」と「処理」に分けて考える。鬱のときは、だんだんと判断できることが少なくなってくる。大局的に物事を見られなくなる。離人感というのか、自分が別のところにいて、赤の他人が判断している感じ。

 今でも印象に残っているのは、私は事務職だったのだけど、最終的には、回ってきた伝票を、どうしていいのか判断できなくなった。伝票だから、書いてあることを処理すればいいし、必要なければ、そのまま回付してしまえばいい。

 しかし、自分でも、どうしていいのか判らない。書いてあることが理解できなくなってしまう。項目があって数値があるだけなのに…。そのときの「仕事」の結果が寝不足のときと重なるのだ。

 

 鬱のときは、もう「判断ができなくなる」。寝不足のときは「判断力が落ちる」。まだ寝不足のときの方が「処理ができる」感じもするのだが、朦朧として「処理」の能力も落ちているので、結局、どちらでも「仕事」ができないことに変わりはない。

 意外とこの辺を混同している人が多くて、自分が寝不足のときに重ねて、鬱の人に「休めば治るよ」とアドバイスしてしまうのだと思う。しかし、寝不足なら寝れば治るが、鬱のときは仕事を離れたからといって回復するとは限らない。

 黙って休んでいれば「処理」はできるようになるかもしれないが、前提となる「判断」する力まで回復するようには、私の経験からは思えない。それで、「判断」力を上げるために向精神薬があるのだと思う。(薬の力で上がっているに過ぎないのだが。)

 では、鬱のときは、どうすればいいのか。やらなくてはいけないというプレッシャーから解放するところまでは同じで、それで治ってしまう人がいるから「鬱も寝不足と同じで休めば治る」と思われている節もあると思う。

 ただ、いくら休んでも治らない人がいる。疲労でも感染症でも体を休める、体力を消耗しないところまでは同じだが、養生すれば治るものと治療しなければ治らないものがある。鬱は後者だ。休む、寝る、それでは治らないのだ。

 鬱は疲労ではない。「病気」だ。単に休むだけでなく治療が必要だと私は思う。医者に掛かるのは休むだけでは駄目で治療が必要だからだ。具体的に何が治療になるのかは専門家に譲るとして、私がいいたいのは、下記の一点だ。

 

「鬱は病気であって疲労ではないから休むだけでは治らない、治療が必要だ。」

 

…実は、今の自分自身についても、眠れないというのは軽く鬱が入っているのではないかと、経験上、考えている。「正常に仕事ができているつもり」でも、なんか、まともな文章を書いているように思えない。