身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

Cluttered.

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 藤原審爾『死にたがる子』を持って外出した。もう、その時点で死にたい気分なのだが、読み始めて、陰惨な気分になった。

 初めて読むのだと思ったが、冒頭、神経症の男性に関する描写が出てきて、これは以前、読んだなと思う。

 ただ、なぜか知らないが、この文章は吉行淳之介氏の小説に出てきたのだと思っていた。作風から何から、まったく違うのに。

 もう、自分でも訳が判らなくなってしまった。なぜ、この本を読んでいるのかも。なぜ、自分が生きているのかも。

 

P.S. しかし、Blogには、こんなことしか書けていないのに、今日の日記は2,000字ちかく書いていて、我ながら他人に物を読ませるのは適任でないのかなと思う。

小説家は神様。

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 先ほどまで渋谷の喫茶店でコーヒーを飲んでいた。最近、ちょっとばかり有名になって混んでいるが、昔は知る人ぞ知る店だった。その名残は今でもあり、カウンターの隣の席では某有名コラムニストがスマートフォンと睨めっこをしながら洋書を読んでいた。たまに、今、この店にいる物書きの力を結集したら直木賞くらい獲れるかもしれないな… と思うことがあり、そんな店に行くとウキウキとする。

 学生時代も、まだ文壇バーなるものが残っていて、作家というのは、こういうところに行くのかと興味津々で通ったことがある。二十歳そこそこの若造が、そういう店に行くことを快く思わない客もいたのだが、逆に彼らの方が店から追い出された。そして、そこで、ある直木賞作家と知り合ったのだが、その後ネット時代になり、その作家に助けられたことがある。

 あるインターネット掲示板、といっても「2ちゃんねる」のような反社会的(当時)なところではなく、ある程度、身元が判る掲示板での話。私は、そこで、売れない作家を自称する変な男に絡まれたことがある。昨日、読んだ鷺沢萠『家並みのむこうにある空』(『F 落第生』所収)にダメ男を引き付ける「ダメ磁石」なる言葉が出てきたが、このBlogに書いたネットストーカーといい、私にも、そういう人物を引き付ける何かがあるのかもしれない。 

 
 
 
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 さて、その、私に絡んだ自称作家は、作家どころかサラリーマンの風上にも置けない人物なのだが、尊大どころでなく威張り散らして、上から目線で私のことをバカにし始めた。この前、書いたネットストーカーのように、そういうことをするのは他人が努力して手に入れたものを楽をして手に入れたと思い込むガキだと決まっている。

 そのとき、自分の身元を明かさず、お前、絡んでいる相手が誰だか判っているのかと始めた人物がいた。誰も何も、私は単なる無為徒食の徒であるが、あっという間に大作家に仕立て上げられた。私が雑誌に書いたものをすべて読んでいて、大したことを書いていないのだが、私が凄いことを書いたように述べ始めた。

 見事な手腕だった。私は、最初、それが誰だか判らなかったのだが、作風が、その作家の小説、そのままなのである。奇しくも私は小説の発生に立ち会うこととなった。直木賞、伊達じゃないな…。しかし、彼は、どうして、その掲示板に辿り着き、それが私だと判ったのだろう。これも『F 落第生』所収の『最後の一枚』という1編に、何とも端的に述べがたいが、ある人物の素性を知っているのは自分だけだと思ったら周知の事実だったというエピソードが出てくる。私も、喫茶店の隣の席にいたコラムニストが誰だか知っているように、自分は、その他大勢のひとりだと思っていても、意外と、他人には知られているのかもしれない。

 ちなみに、自称作家という人物は、ブロガーとして有名になったそうだ。そして、自分を成功者に仕立て上げ、誇大広告を掲げて情報弱者から金を巻き上げて凋落し、そのことで有名になった。情報弱者を略して「情弱」ということも、その人物に関するニュースで初めて知った。その人物は、その直木賞作家の作品を読んだこともなければ名前も知らないだろう。

ソーシャルワーカーとしてのアプローチ。

 ここ最近、朝、辛くて、あいはーと・みなとに駆け込んでいる。最近、そこに入ったソーシャルワーカーの方が、なかなか相談しやすい。

 何度も書いているので今は書かないが、私には辛い過去がある。それに拘ることを、主治医は、それって一種の発達障害かもしれないねと言っている。

 そんな話を、そのソーシャルワーカーの方に話したら、医者としてのアプローチは投薬などがあるだろうが、ワーカーとしては違うと言われた。

 私が過去の、もっとも社会的地位も金もあったころの話をすると、私がクズ医者と呼ぶ前の主治医は、それを目指せと言うと思うが(そもそも、クズ医者は、私が、そのような地位にあったことすら信じていない)、そのソーシャルワーカーは、その時代に戻って欲しくないと言う。

 ドキッとした。虚勢こそ張ってはいないものの、というか虚勢が張れないがために、自分自身を、それに近づけようとして、かなり無理をしていた。実力以上ではないが、実力ギリギリまで頑張っていたことは事実だ。

 なかなか、私の心の奥底まで覗き込んでいるなと思う。そして、深く考え込まない程度に、でも度々、話をしましょうと言う。深く考え込まないようにというのも考えがあるのだろう。この人と話をすると楽になるので、考えを、少し任せてみようと思う。