身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

主治医は私の病状を、どこまで把握しているのだろうか。

 今日は通院だった。とにかく滝のような汗をかくことを話したら、何だか減った薬が元に戻った。そして、戸籍を集めた話をしたら、よく頑張りましたと言われた。頑張りましたって、金融機関への届け出とか、具体的な手続きは、これからなんだけど。

 体重が7㎏減ったことは、前回、話した。食欲がないと言ったら、副作用で中止にしたリフレックスを再開しようかと言うので断った。今回は、食欲のことについては訊かれてもいない。彼の中で、このことは、どう捉えられているのだろうか。

 保健師さんに電話をしたら、とりあえず後悔が残るようになるのなら、きちんと診察のときに言っておきましょうと言われる。幸い、私の先生は出られるときは電話に出てくれる人なので、電話をしてみた。

 食事については、朝はあんパン、昼はサンドイッチ、夜は肉まんしか食べられないと言ったら、それで十分と言われる。また、焦燥感が強くて文章が1センテンスも読めないと言ったら、診察のときに言ってくれれば薬を出したのにと言われた。

 なんか、もっと親身になって話を聞いてくれるといいなと思うが、前任の主治医は、心臓が針の筵の上で転がされている気がして起きていられないと言ったらゴロゴロしたいための言い訳と言うような医者で、転院先が、ここしかなかったので仕方がない。

体調がキツい。

 寝た途端、汗をビッショリかいて目が覚める。というか、寝ていた時間があったのか? Fitbitを見ると寝たことにはなっていない。母の未支給年金を受け取るのに、母からの仕送りで生活していたという第三者の証明がいるのだが、それをしてくれる人がいるのか。それが気になって眠れないどころではなかった。

 今日、私の経済状況をよく知る母の地域包括支援センターの職員に頼んだら、福祉関係の人(おそらく公的機関の人)は金銭に関わることをしてはいけないんですよと言われる。そこで、今度はケアマネージャーに電話。個人として快諾してくれた。

 それで、ひと安心ではある。一睡もしていないので、訪問看護が来るまで、ひと通りのことをしても、まだ時間があるので先んじて買い物に行く。そして訪問看護訪問看護が帰ったら、ドタバタしているうちに昼食の時間。

 昼食を摂って、Blog友達Sさん家ちかくの法務局へ。法定相続情報一覧図の作成を依頼。前回は1週間程度で出来た気がするのだが、今回は5月中旬になるという。それまで相続の手続きをストップするわけに行かないので戸籍謄本で進めることにする。嫌だな、「戦災で焼失して以前は不明です」なんて書類、通るのだろうか。

 そして、渋谷に出て郵便局で、実家のBフレッツで使っていたルーターの返却(郵送)。実家というのは変な家で、ネットを使っていないのに、CATVの契約をしていたらNTTの営業に押し切られて加入したという。そして、簡易保険の死亡保険金の受取手続き。ここで、私の保険も住所が実家になっていたので直してもらう。

 そして、やっと、喫茶店で一休み。しかし、なぜか休まらない。下半身からサーッと熱が逃げていくような感じがする。そして寒気。たしかに騒がしい店ではあるが、騒がしいなりに、いつも落ち着くのに、

 体温も、朝から、いや、2・3週間前から微熱が続いている。汗が乾いて濃紺のシャツに白い潮が吹いている。夜は、必ず汗をビッショリかいて目が覚めるし、体調がキツい。

続・戸籍の話。

 母の相続のために戸籍を取り歩いている話は書いた

 今日は、港区役所と千代田区役所、一気回り。港区役所は都営三田線御成門駅のそばにあり、千代田区は都営新宿線九段下駅のそばにある。九段下駅都営三田線神保町駅から数百メートルの距離にあり、すなわち、都営三田線1本であるので思い切った。

 そこで、やはり、千代田区麹町区)の前に市川市に戸籍があり、市川市の前に、さらに千代田区があるというのは、説明したが、1回では通じなかった。あらかじめ市川市の戸籍を取っておいて良かった。市川市の戸籍を見せて判断を仰ぐ。

 「市川市の段階で母は生まれていないので、やはり、その前が必要ですね… しかし、ちょっと待ってください、その戸籍、東京大空襲で焼けていると思います」とのこと。再び戸籍を探してもらう。

 やはり戦災で焼けてしまっているとのこと。そして、出てきたのが、こちら。ちなみに発行手数料は無料。どうも、これが出てきたら、これ以前は辿らなくても良いようだが、私のルーツが、そこで途絶えているようで悲しい。まぁ、少なくとも4代は続く江戸っ子であることは確かだけど…。

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 しかし、区役所の並びには戦前からと思われる素敵な建物がある。私の麻布の家など、叔父が酷い人間だったので最後は無様だったが、これだけの様相を保っているのは素晴らしい。時空間という時計屋さん。

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 だったら、もし、麹町区役所が今のところにあったのなら、震災では焼けていないのでは? と思い35区時代の地図を見る。作家の早乙女勝元が旧35区の地図に震災で焼けた部分を赤く塗って復刻した日地出版の地図。しかし、今の場所に麹町区役所は見当たらない。

 頼りがないことに、区役所の場所を知ったのはWikipedia。隼町8番地とあり、慌てて地図を確認。東京に馴染みのある方だと、隼町というと、最高裁国立劇場を思い出すだろうが、麹町警察署の隣にあった(警察署の場所は変わっていないと思ったら1ブロックずれていた)。

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 現在の地図はこちら。

 

 確かに35区地図帳を見ると真っ赤である。港区など港区役所は旧芝区役所の場所に、そのままあるので、合併してできた区というのは、全てそうだと思っていたが違うようだ。今日は、そんなことを調べて終わった。こんなことをして意味があるのだろうかと不安になりつつ。