身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

死ねたら楽なのに。

 今朝は珍しく午前10時前に目が覚める。先日、午前10時半に電話を架けて来た人がいて、電話が鳴っているのは判るのに身体が動かず取れなかった。倒れていると思って訪問看護師に電話をしてしまったというが、それがデフォルトである。

 主治医に、朝、どうしたら起きられるか訊くと、朝、早く起きることより起きている時間を充実させるようにしましょうと言われる。しかし、眠剤を服む時間が午後8時なので仕事をできる時間ではなく活動できる時間が1日に数時間ということになる。

 珍しく午前10時前に目が覚めるといっても心地が良い目覚めではない。胸が苦しくて目が覚める。土曜日、母の入院している病院に行くのに午前6時に行くことへのプレッシャーとか、母を不憫に思う気持ちとか、そういうものの塊である。

 母のことについてはネットストーカーが見ているので詳しくは書かない。以前、骨折したことを書いたが、その退院後の処遇を巡って、母の希望に添えそうにない。それについては今の主治医も訪問看護師も、そうするしかないだろうということがあるのだが、それでは少し可哀想な気がする。

 今でも実家に行くと東京に戻ってきて1ヶ月寝込むくらいで、できないものはできないのだが(これもネットストーカーが嘘を流布していたな)、母の周りの人たちは、それを私が楽をしたいからだとか金目当てだとか非難する。

 父が死んだとき、実質は相続放棄に近い形になったのに、母が金を使うのを頑として嫌がったので、最低限、相続税の申告に税理士を使っただけですべて自分でやったのを知っているのか。子供のころ、子供らしい遊びもさせず、夏は40℃を超える部屋に監禁されたことや、それに類することが多々あるのを知っているのか。

 そういう腹立ちは、まだ「やるせなさ」という、どうしようもない感情に変わるから良いのだが、不憫に思うとかプレッシャーと感じるという、他の選択肢を選べば回避できると思うと、やはり安心して眠ってはいられない。

 そういうとき、死ねたら楽なのに… と思うと言うと、意外と皆、些細なことで死ねたら楽なのにと思っているようである。私と違って朝、起きたら苦しいとか、そういうことがない人でもそうなのだ、これだけ苦しいのなら当たり前という気がする。