身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

親子関係はもっと冷酷。

 NHKスペシャルTVドラマ「こもりびと」(HP)を観た。放送は昨年の11月22日である。なんか私のFacebookの友人の間で話題になっていたので録画しておいた。ただ、私は1時間番組を観るほど神経が持たず、観るのが昨日になった。

 あまり共感するところがなかった。私は引きこもりではないが、あんなに簡単に引きこもりになり、あんなに簡単に歩み寄れるものか。そうだとしたら私もなっているはずだ。引きこもりは甘えという概念を増長するようなものだろう。そして、引きこもりに対する間違えたアプローチが増えてしまうと思う。

 映画「母さんがどんなに僕を嫌いでも」を観たときも、あれだけのことをされながら一緒にご飯を作って目出度し目出度しというのに違和感を覚えた。私も親と反目していたから子供の感慨は良くはないが判るのだが、20年も反目しあっている親が、あんなに簡単に子供の言うことを聞くか。

 他方、それが主たる目的で描かれれているのではないのに、物凄く共感を覚えたTVドラマがある。生活保護が話題になっているが、2018年、フジテレビのTVドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」である。

 この中で、父親からの虐待でPTSDを発症した青年が登場する。父が「家族ですから」と連呼をして、息子を引き取るといって会いに行く。以前のBlogでも書いたが、追い詰めていくという感じ。家族だから親は子供のために動くのだという主張。

 以前も書いたが、私は高校で教師の虐めに遭って起きることすらできなくなった。それを、親に、甘えているんじゃないといって殴る蹴るされ、その手を振り払っただけで家庭内暴力だと110番までされた。そして警察は親の言うことを信じて私を殴った(後に他県の警察官に話をしたら警察官が人を殴ったということにショックを受けていた)。それがPTSDになり、今でも毎朝、起きると恐怖を覚える。

 これらの作品、表現の差こそあれ、すべてを通した根底にある共通の真実を探すとしたら、子供は親が思うほど甘えたりしていないということだろうか。親がちゃんとしたいと思っているのに子供は甘えているというのなら、それは自分が甘えたいという気持ちの投影である。もし、自分にちゃんとしたいという願望があるのなら、子供のそれを信じても良かろう。