身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

説明できれば気持ち悪くなくなる?

 ここ数日、傲慢症候群に罹りながら他人を矮小化することで自分を保っている人間について考えてみた。自我を肥大する能力もなく、また幼稚なために善悪の判断も付かず他人を貶めている自覚がないという実態を知ると、何だと笑いたくなる。

 生理的に気持ちが悪いというのは相手が気持ち悪い以上に自分の気持ちが悪いものである。実は今、Facebookで少し気持ち悪い人がいて、なんかよく判らないポエムのような人生訓のようなものを投稿しながら、夫婦で「いいね!」し合っている人だ。

 最初の人物のように変なことをしているから気持ちが悪いというのなら話は判るが、別に人生訓を垂れるのも夫婦で「いいね!」し合うのも、別に変なことではない。しかし自分のどこかで変だと思っているから気持ちが悪いのだろう。

 また、変なことの定義も難しい。小泉純一郎氏は飼っていた鳥(オウムだったかな?)が死ぬと葬らずに剥製にしているという。これは私なんかから見ると十分に変だが、友人に話すと、変か否かということで二分される。

 例えば、小説家は、互いに「いいね!」し合っている夫婦、飼っていた鳥が死んだら剥製にする人、というのを、変な人の描写として使うのだろうか。小説の中に類似した描写が出てくれば「解る!」となるのだろうが、サンプルが少ないだけに気持ちが悪い。