身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

広尾のサーティーワンの思い出。

今週のお題「私の好きなアイス」

 

 私の母親の実家は麻布の仙台坂上にある。ちょっと古い人だと、ラジオ番組"AVANTI"の舞台になったところ、といえばお判りになるだろうか。寓居の数軒先にあることになっていて、FM東京には口裏を合わせてくれといってグッズを大量に貰ったものだ。金丸信の家も並びにあり、母の話だと今のフィリピン大使館のところ(古い人間なので麻布プリンスになった後のことは知らないようだが)は森永のお偉いさんの社宅で、安倍昭恵さんが普段から余所行きのような服で遊んでいたそうである。

SUNTORY SATUADAY WAITING BAR

 

 ただ、子供にとって、高級住宅街といってもピンと来ないものである。南北線麻布十番に通ったところで、さして変わりはないが、仙台坂上というところは、非常に駅から遠い。急な上り坂がある。そして、高級住宅街というのは鬱蒼としている。そして、母の実家は屋敷ではなく長屋であった。

 子供のころ、同級生が親の実家に里帰り… などというと、同級生の大部分が自然豊かで開放的なところに行っていたので、それに比べて、何もない住宅街に行くというのは、なかなか酷なものであった。もっとも、東京のベッドタウンで育ったので、親の実家は東京という同級生も多く、銀座のデパートの食堂などに連れていかれると、必ずといっていいほど親に連れてこられた同級生に遭った。

 銀座といえば東京で一番、華やかなところである。今でこそ新宿などもそれなりに栄えているが、私が会社員時代でも、まだ、最初は銀座で飲んで、銀座が捌けると六本木、渋谷へ流れていくという流れができていた。なので、銀座に行くと言われると喜んでいたものだが、麻布に行くと言われると、何となく憂鬱な気分になったものだ。

 そんなとき、親がダシに使ったのが「広尾のサーティーワンでアイスを買ってあげるから」という台詞だった。建て替える前からナショナル麻布スーパーマーケットの一角にあって、広尾にはアメリカ文化が根付き、当時は珍しかったマクドナルドもあった(これも、まだ同じ場所にある)。

 私の地元にマクドナルドができたとき、友人と一緒に親に連れられて行ったものだが、あのパサついたパンとピクルスが子供の私にはダメだった。まだテリヤキなどなかったと記憶している。それで、マクドナルドでは釣れないと思ったのか、母は必ず「広尾のサーティーワン…」と言うようになった。

 そして、広尾のサーティーワンでは、必ずと言っていいほどメロンシャーベットを頼んだ。というか、まさか子供がラムレーズンなど食べられるはずがなく、消去法でメロンシャーベットになった気がする。広尾の駅に着くと、母は真っ先に私をナショナル麻布のサーティーワンに連れて行き、私に断りもなくメロンシャーベットを頼んだ。

 そこまでは良い。そこから、ときには有栖川公園の中を通って、ときには(西)ドイツ大使館の横の、長い長い、そして変化のない南部坂を上って、仙台坂上にある母の実家に行った。それ以来、メロンシャーベットというものは、私にとって「スペシャル」なものとして認識されるようになった。そして、それは、私の好きなアイス(シャーベットだけど)として、今でも心の中にある。