身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

こんなに苦しむのなら。

 昨晩は、まるで船に揺られているような激しい目眩で目が覚めた。そして、布団を薄く掛けているのだが、汗をビッショリかいている。

 朝、起きたときには、もうボロボロである。母が死ぬ前から、朝、起きたときには憔悴し切っていて、過労で入院を言い渡されたほどだ。

 昨日から、「ラジオで! カムカムエブリバディ」に出てきた英語の熟語、"Never say die."をTwitterで頻発しているが、これは、自分を鼓舞しているに過ぎない。

 先日からイライラして「ラジオで! カムカムエブリバディ」の英語が言葉として頭に入ってこないのだが、ついに日本語も入って来なくなった。

 今日は、本当に辛かった。ラジオを聴くことを放棄しても辛くて、あまりに苦しくて死を考えた。

 保健師さんに2回、電話をする。あまりに苦しくて頭に入ってこないが、なかなか示唆に富んだことを言ってくれた。今、死ななくていいとか。

 午後8時に眠剤を服んで(早いと言われるのだが、それでも寝付くのは午後11時前後)少し落ち着いたので、言われたことの復習でもすることにする。

 

Never say die.

精神病が辛い。

 友人の弁護士は精神病で死ぬほど辛いというのが判らないという。

 昨日、酒を飲んで薬とバッティングしたせいもあり、あまりよく眠れない。起きたら肩がパンパンに張って疲れも取れていない。

 母の戸籍謄本は、どの市区町村にあるのか判っているので、それを取り寄せようとするが、疲れ果てて何をしているのか判らない始末。

 本当、楽になりたい、楽になりたいとばかり思っている。

朝の辛さについて。

 母がいつ死んでもおかしくないらしい。主治医曰く、最近の私の不調は母との関係性が変わってきたことによると思うよとのこと。

 

 さて、先週の金曜日あたりは、朝、起きたとき、すでに憔悴し切っていて、蛍光灯が切れたので、その交換をしようと思ってもできなかった。当然、TVドラマなど観られず、1日が終わったらボロボロになっていて死にたくなった。

 こんなことなら死んだほうがマシだと思うことは多々あれど、純粋に、死にたいと、それだけを思ったのは初めてだった。本当に疲労で自殺したくなるのだなと50歳になって初めて実感した。

 昨日・一昨日と、行きつけの喫茶店で休むようになったら少しは楽になって、相変わらず、夜中、汗をビッショリかいて目が覚めるが、朝、起きたときに、すでに疲れ切っているということはなくなった。

 それでも目が覚めて数分もしないで不安に襲われる。そして、ジッとしていられなくて、もう少し休みたいと思うのだが、居ても立ってもいられず起きて着替えて顔を洗う。

 しかし、何も手に付かず、ものの5分もジッとしていられない。文章を書いても文章にならない。そして、イライラする。パニックに近くなって家を飛び出し喫茶店に行く。そして喫茶店に行くと少し休まる。その繰り返し。