身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

死ねれば楽なのに。

 まだ苦しんで布団にいる。少しの物音にもビクッと反応してしまうのでヒルナミンを2シート服んだ。母に電話をしたら1ヶ月ぶりに出たのだが嫌な思いしかしなかった。

 死にそうなまま苦しさの原因や打開策を考えた。苦しくて考えた先から飛んでいく。しかし、やはり、最良の方法は死ぬことだなと思う。

 死んだら楽になれるのだろうが、それでは浮かばれないだろうな。生きて書かなければならない。しかし、それも、また地獄だ。

 

P.S. こういうときに外出を無理強いされると事件を起こす。怖がっているのに外出を強要したクズ医者は無責任だった。友人が欲しい。

焦燥感。

 今日も寝ている時間から苦しんでいる。書かねば書かねばという焦燥感で寝ていられない。そして、朝、起きるころにはボロボロに疲れている。そして、疲れて動けないことに、さらに苛立つ。

 辛い思い出であっても事実は事実として受け止めれば感情などには流されないと思っていたのだが、それは、間違えだったようだ。起きて机に向かっても、本も読めなければ書く方も進まない。そして、また、胃が痛くなったりする。

 一方でというか、対照的にというか、専門学校のときの、勉強が楽しくて楽しくて仕方がなかった思い出が蘇る。仙台坂上にある叔父の家から神田駅前の神田外語まで自転車で2往復し、内風呂がないので銭湯にも通った。楽勝楽勝~という感じで姉妹校の神田外語大学の推薦を勝ち取った。

 しかし、手続きをしても大学へ入学金は振り込まれず入学は取り消された。半ば泣きじゃくるように叔父に理由を訊くと、勉強など嫌いなものに決まっているから朝から晩まで机に向かっているなんてボーッとしていて何もしないに決まっていると言われた。

 だったら全優の成績など取って進学も受けられないはずと言ったら、そんな、誰にも言えない学校など行かせられないと言われた。ちなみに、私は専門学校から神田外語大学に推薦入学(しかも3年次編入)、叔父は2浪して東京経済大学に入学。

 名前を聞いたことがないが、そんなに東京経済大学というのは凄い大学なのか。ガイドブックを開いたが、当時、東京経済大学は偏差値40・競争率0.7倍、神田外語大学の偏差値60・競争率1.4倍だった。

 苦しい思いをすると、そういう良かったころの思い出や、それを壊した連中への恨みというのが顔を出す。そして苦しむ。そして、また書けない。今日も眠れないし明朝も辛く、明日1日も苦しむだろう。

出会わない運命。

 運命の出会いというものがあるとすれば、出会わないのも、また運命であると思う。昨日、鷺沢萠氏に関するエントリーをアップしたら何か知らないがアクセス数が上がって、調べてみると今日が命日だという。完成度が低いエントリーが読まれるのは居心地が悪い。

 鷺沢氏は1968年生まれで2004年に35歳で没。私の4つ上。活動時期は私の病気が酷くなる前と、ほぼ重なる。沖縄の本部の桜を同日に見に行っていたことを後に知るが、知ったら知ったで、私たちの他に桜を見に来ていた一団がいたので、彼らかもなどと思う。

 東京にいるといろいろな人に会う。会っても気が付かない。先日も書いたが、いい家だなと思って見ていたら、そこが有名女優の家だったということもある。また、私のように白金などというところに住んでいるとTVで見る顔を実際に目にすることも多々ある。

 しかし向こうは私のことなど知らないわけで、不特定多数に自分の存在が知られているというのは嫌だろうなと思う。私は世事に疎いのでリアルタイムで鷺沢萠という人を知らなかった。ミーハーな私は、知っていたら沖縄で血眼になって鷺沢氏を探したかもしれない。

 高校のとき、国語教師が学生時代に卒論のテーマにした志賀直哉の奥様と電話で話したことを大変な思い出のように語っていたが、それは茨城の田舎の学校だから特別なことで、都市部に住んでいれば普通のことである。東京でなくても、水戸に住んだだけでも違ったはずだ。

 つまり、もし鉢合わせをしても、興味がない人間とは会っても気が付かないし、それも、また運命のような気がする。以前のストーカー被害もあるが、このBlogには興味を持ってもらいたいけど、瓜ヶ谷が私だというのは熱心な読者以外には知られたくない事実である。