身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

雨降って、鬱。

 寓居は北西向きで日当たりが悪く、夏は暑く冬は寒い。そして起きて外を見るまで天気が判らない。しかし今朝の頭が重い倦怠感で、外を見る前に、これは絶対に雨だと確信した。いつもなら空腹で寝ていられないのだが腹も減らない。

 コンビニにコーヒーを買いに行く。そこで、レジの横に和菓子を見付け、買おうとしていた菓子パンをそれに替えてくれと店員に告げ、会計をしてコーヒーマシンに行こうとすると、パンを手に取り“私が”戻しておきますねと言われ、自分が物凄く責められた気がした。

 一昨日、電話をしたので、お礼の電話でもと区の施設に電話をすると、色々と面談の予定が入っていると言われ、これまた電話をしたことを後悔した。そして、頭が重くなって、そのまま横になった。

 典型的な鬱の症状だ。波が酷いときには仕事が手につかない。今日も起き出したのは午前9時、作業を始められたのは午前11時過ぎだ。しかも、最初にSNSをチェックしたのだが、今になって読むと何を書いているのだかという感じ。

 昔、バーのマスターに、酒の酔い方と気圧は関係があると言われ、あぁ、これは、きっと気圧のせいだろうなと思った。しかし、低気圧や高気圧などの相対的な気圧の高さは判っても、なかなか気圧自体の数値というものは知らない。そうしたら、こんなアプリが。

頭痛ーる:気圧予報で体調管理 全国700万人の気象病対策アプリ

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 東京は「超警戒。」もともと感情の起伏が激しいうえに気分の浮き沈みが激しいので、自分でも付き合うのが大変だ。あいつは男なのに月のモンがあるんだ… 会社での私の悪口は耳に入っていた。たしかに、天気によって左右されるのは、このサイトの調べだと、圧倒的に女性が多い。

 

 そして、また、あの思いに襲われる。このままでは働けない…。いつも、年末に会社に採用されて、梅雨ごろに体調を崩して精神障害が露呈し、夏にクビになる。晴耕雨読ではないが、時間に囚われない仕事、最大のパフォーマンスが発揮できるときだけすればいい仕事いうのは、ないものか。

人間としてのポテンシャルの低さ。

 昨日のアクセス(数)は半分近くが「ほぼライブ」で、いっそBlogを分けたいが、作成可能な数3つを使い切っている。ひとつは、このBlog、ひとつは日記を打ち込んでいるもの、ひとつは文学作品の下書き。

 下書きなど「小説家になろう」あたりに移してしまえばいいのだろうが、そこで発表するものでもないし、システムが未熟で書きかけの原稿が飛んでも嫌なので、やはり「はてなブログ」が適切なサービスという気がする。テキストエディタで書いてクラウドにアップすると、バージョンの管理が面倒だし見にくい。

 さて、昨日までの3日間と違って、今日は、理性がきちんと働いている。問題は、身体が疲れ切っていることだ。そして疲れる原因が思い当たらない。昨日はカメラメーカーのサービスセンターに行き、喫茶店で小休止しただけで寄り道もせずに帰宅した。家に帰って本すら読まず、TVドラマを2本、観ただけだ。

 やっていることは、家でゴロゴロとしてTVを観ている人より少ない。パフォーマンスだけ見ればゴロゴロとしていた方が効率的である。しかし、起きたときには気分が少し落ち込んだものの、それでも充実していたからか、ヒューマンダストという気持ちはない。

 昨日、今日から頑張ります! と宣言して、ここにも書いたことも理由の一つだと思う。言霊とまではいわないけれど、書くことは考えることでもあり、同時に決意や方針の表明でもあるのだなと思った。やったらやっただけの結果が出るように実力を付けなければ。

 しかし、今日も疲れで頭が回らないところもあり、最近、読み込んでいる鷺沢萠氏の本に幼児虐待について触れた本があったよなと思うが、タイトルを覚えてなくてネットで検索する始末。最近になり、持っている本や物をAmazonウィッシュリストに放り込んでメモを付けておくという知恵を身に着けた。

 このBlogに書いた本についてさえも忘れていて、ネットで色々と検索していて随分と自分に近い感想を抱く人がいるものだと思ったら自分が書いた文章だったりする。もう、いくら自分で頑張っていますといっても、これでは駄目だろう。

 ネットサーフィンなんて昔の言葉みたいだが、そんなふうに気になることを気が済むまでネットで調べていたら1日が終わってしまった。私は午後10時に眠剤を服むので、せめて、あと1時間は本を読みますから、許してくだせぇ、お代官様。

私には友達がいない。

 昨日・一昨日と酒に逃げていた。しかし昨日のエントリーは酷い。段落すらない。そして、昨日の朝は、そんなことはなかったのだが、習慣になり始めているのか、今朝は飲みたくて仕方がなかった。役所が開くと同時に区の色々な職員に電話をして、カクカクシカジカですが、今日から飲まないと決意しました! と宣言をした。

 以前も書いたが、私の叔父は、ならず者である。私の実家に入り浸っては朝から酒を飲み、酔った勢いで雨の中を傘を差さずに総菜などを1万円も買ってくるそうである。“そうである”と伝聞なのは、私が実家にいないときも入り浸っていて、それを母が話すからだ。それでも母は、叔父さんは倹しい生活をしている、それに比べてお前は浪費をすると詰る。ちなみに1万円は私の1週間の生活費と同じ額だ。彼は月に3万円で生活しているというのだが、寝間着の中に3万円、忘れていったそうである。母は自分で言っていて矛盾に気付かない。

 叔父は、私が実家にいるときでさえ居間の絨毯の上で素っ裸になって放尿し、母が何回、着替えさせても、それを繰り返す。私は、今日の早朝、目が覚めて、そうでなくても酒を飲んだ翌日でブルーなのに、さらに落ち込んだ。酒を飲んで現実逃避をしようなど、叔父がしていることと変わりないではないか… 。今日、私はバスで新宿へ行ってきたのだが、新宿駅西口の地下広場から地上のバス停まで階段を上ろうとしただけで腿に負担を感じ、寝転んで酒ばかり飲んでいるので歩行困難になっている叔父に自分を重ねて嫌な気分になった。

 子供のときから、親に遊ぶのを禁じられていたので、正直いって、楽しい遊びというものが判らない。そして、私には兄弟姉妹がいない。さらに相談する友達がいない。酒を飲む以外の方策が見付からないのだ。子供のとき、友達ができそうになると、あの子は集団でつるんだりするからなどといって友達付き合いをさせてもらえなかった。母のいう“つるむ集団”つまり遊びの輪に入ったことがない。

 私はファミコン世代なのだが、ゲーム機を買ってもらえなかったばかりか、友達の家に行くのも制限されていたので、いまだにコントローラーの使い方が判らない。また、世代的にガンダムなどが流行った世代なのだが、へんし~んなんてのも、何が面白いのか判らない。午後9時から始まる「ニュースステーション」さえ観せてもらえなかったので歌謡番組なんて、とてもとても。同世代のアイドルに誰がいるのか知らない。

 ずっと自室に監禁され、TVも音楽も小説さえ禁じられていた毎日の記憶というのは、あまりない。小学校では、お前の親はキチガイとイジメられた。私自身、共通の話題もなく人付き合いの方法も知らない人間とは友達になるのは難しいだろうなと思う。そして親の言うことを鵜呑みにする幼い子供にとっては、親が、あの子の親はキチガイだと言えばイジメの対象にもなるだろう。

 問題は、その、友達になれなくてイジメの対象になるような人間が、他人ではなく自分だということだ。自分なんて死ねばいいのに… などと思うことは、あるいは自分に対するイジメなのかもしれない。