身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

吾輩は鬱である。

 今朝も落ち込みからくる恐怖に襲われた。しかし、無理して起きたら大丈夫そうで、バスに乗っても、お年寄りに席を譲る余裕があった。しかし、お礼を言われて、どういたしましてではなく、こちらこそと言う私。 いかに、普段、他人に親切にし慣れていないか。

 それで、なんか、今日は、このままサラリーマンに戻って普通に会社に行って仕事ができそうだと思ったが、郵便局で小包を受け取る郵便局員を見て、私は、こんなに重い小包は持てないと思ってしまう。そして、切手を見ても悲しくなってしまう。

 今日は通院の日。先生に、そんなことを言葉では述べてはいないのだが、薬を変えますねと「ビプレッソ徐放錠」というものを処方された。「セロクエル」という薬が選択肢にあるのだが効き(鎮静と抗鬱の効果)が違うという説明をされたのだが、良く判らない。

折れそうな心を繋ぎ止める物。

 今は少し楽になったが、今日も、それで苦しんだ。苦しい助けてと叫びたいが、これだけ苦しいと、むしろ殺してくれとさえ思う。なぜ、普通のことができないだけでなく、何もしなくても、こんなに苦痛なのか。人生は平等とか、神は乗り越えられない試練は与えないなど大嘘だと思う。

 

 横になってリラックスしようとすると心臓が痛んで目が覚める。顔も洗えず、シャワーを浴びられずに1週間、せめて横になって休もうとしても、恐怖で心臓が針で突き刺されたような感覚がしてドキッとする。

 この感覚自体、40歳を超えて初めて味わった感覚だ。この体験をした古い記憶は、東京拘置所に入れられていたときのこと。なので、40歳の私が判らなかったくらいだから、ほとんどの人が理解できないのだろう、私が助けを求めても、誰も理解してくれない。

 かつては、心臓が針の筵の上で転がされている感覚がして、起きることもできなかった。寝ようとしても、ウトウトすると心臓が針の筵の上で転がされている感覚がして目が覚め、寝られない。半年で総白髪になり周囲を驚かせた。脈と血圧も異常に上がり、救急車で病院に搬送されたこともある。

 しかし、当時の主治医は、髪色や内科のデータを見たはずなのに、心臓が痛むはずがない、ゴロゴロしたいための言い訳と言って取り合わなかった。のちに、それは診断ともいえぬ決め付けであり症状を謙虚に診ていないと言う医師に変えて、だいぶ良くなったのだが、まだまだ苦しい日が続いている。

 しかし、新しい主治医もそうだが、今の担当の保健師さんは何も取り合ってくれないので保健所に相談したら、そこに前任の保健師さんがいて、色々と相談に乗ってくれた。彼らがいるから私は生きることを放棄せず不貞腐れないでいられる気がする。そして、こう誓う。

 

#駄目なら駄目なりに頑張る

実家から帰った。

 今朝、実家の玄関ブザーが鳴って、母が出ないので慌てて出たが誰もいない。そういえば、先月、ガスの検針ができないという手紙が来ていたのを思い出し、ひょっとしてガスの検針ではないかと思い、母に訊く。

 母は、ガスの検針ができない旨の通知書を、シラッと取り出した。通知書に書いてある電話番号に電話をしてみると、やはり今日が検針日だという。実は、今日も検針員の人が入れなかったと言うと、検針員の人が、再度、来てくれた。

 なかったはずの銀行預金口座の通帳が出てきたり、掛けていなかったはずの生命保険の証書が出てきたり、次から次に色々なものがバラバラと出てきて気が気でない。私も持て余して、私の福祉担当者に電話をする。

 それは、もう、お母さんの生活だから、有さんの生活と切り離してしまった方がいいのではないかと言われた。母のケアマネージャーさんに電話をすると、それで有さんの健康を害しては本末転倒なので、気にしなくて大丈夫ですよと言われる。

 帰り、松戸にある証券会社に寄ってきた。すぐに現金として利用できるものと、私の名義にしてから売却しなくてはならないものがあるとのこと。その証券会社への口座を作る手続きをした。

 そして、また、相続の手続きである。証券会社のアドバイザーの方も、経験の豊富な税理士を使うことをお勧めしますと言う。私の周りの福祉の人からも、そんなことで労力を使って精神状態を損ねては元も子もないですよと言われる。

 しかし、母は、税理士を使うことに難色を示している。理由は純粋に金がかかるからだ。私の高校の学費も出すのが嫌で、地方の変な新興進学校に入れた親は、どこまでも金を使うのが嫌いだ。それなのに、自分たちは頻繁に旅行に行っていたりする。

 帰り、松戸駅のフォームで、電車に飛び込みたくなる気持ちを抑えるのが大変だった。しかし、と思う。ここの所感じている恐怖は、自分の努力が認められずに犬死にすることへの恐怖だと悟った。だったら、成果が出るまで生きなくては。