身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

独りの越年で思い出す困ったちゃん。

 鷺沢萠の未読の著作が手に入ったので、それを携えて喫茶店に行った。そうしたら通俗小説だったので、かなりガッカリ。ちなみに見城徹が勝手に告知をして連載が始まったそうである。

 さて、独りでの越年は久しぶりである。父が死んでからは母と一緒に、父が死ぬ前は私が100回オジサンと呼ぶ人間と一緒に越年していた。

 その人を100回オジサンと呼ぶ所以は、1日に100回、電話をしてきたりすることがあったからである。しかし、父親は「有難い人」だと言って交友を断つことを私に禁じた。

 当時の着信履歴が、ここにある。耐えられなくなったのは、ここにあるように朝の6時とかに電話を架けてきて、出ないと家にまで来ることだ。

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 電車の動いていない朝の5時に家に来て玄関チャイムを連打することもあった。区の施設に避難すると、私に取り次げと施設に電話を架けてきたこともあった。

 向精神薬、ましてや眠剤を服んでバイクを飛ばしてくるのだから、もう無茶苦茶である。年に何台もバイクを廃車にしているそうだ。

 区の代表番号に電話を架けて私の担当保健師を出せと言ってきたこともあるそうで、私よりも周囲が積極的に警察への届け出手続きを進めた。

 決め手となったのは主治医である。主治医のところにも来たとのこと、精神科医から見て、あれはキチガイであると。すぐに警察に届けるよう言われた。

 キチガイキチガイであるから常人では考えられないことをする。今度は警察へ、私に交友を断たないように説得しろと、1日100回、電話をしたそうである。

 私が相手にしていたのは、父からの圧力に加え、誰からも相手にされなくて可哀そうだというような同情が働いていたのも事実だ。

 今度、同じようなことがあったら相手にせず、とっとと絶交を言い渡して聞かなかったら警察へ届けようと決意したのであった。

 しかし、私の自分で少し変なところがあることを自覚しているが、こういう、話が通じない人というのは、どう対処すれば諦めてくれるのだろうか。

 明らかに、こちらが嫌がっているのに、それを好意を持たれていると勘違いする神経は、ハッキリいって謎だ。世の中、困った人が多い。