身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

今日は通院だった。

 久しぶりに主治医が日本語らしき言葉を話したので、原文のニュアンス(話が重複し入り組んで判りにくい)を損なわないように要約(というか不要な部分を省いただけ)して記しておく。

 

私・昨日、眠れないのでスマートフォンでフリマアプリを見ていたら物をを買ってしまって、今朝になって落ち込んだ。今になってみると落ち込むほどのことではない。
先生・落ち込むほどのことではないという認識があるのなら、まだいい。
私・訪問看護の担当者に電話をして話をしたら冷静に捉えられるようになった。
先生・こんど落ち込んだとき、本当にそれは落ち込むべきかどうか考える癖を付けていったほうが良い。だいたい落ち込んでも仕方がない。何かできなくても、それでいいんだで済ませては困るが、この程度で済んでよかった、今度はこうしようとか建設的に考える練習をしましょう。
私・訪問看護認知行動療法を勧められた。
先生・そういう練習をしたらいい、学習して変わっていかないと。特に訪問看護なんかそうでしょうけど、周りの視点でいうと、酒を飲まないとか、次につながるような練習をしてほしいと思っているはずだ。
ここに来る患者さんの、ごく一部のパターンにあるのだが、調子が良いと障害者雇用から普通枠で働くなったようになったようなもので、これくらいのことはできなければならないと思うと、今までできなかったことができるようにならなければならないと思って、良くなったら不安になる患者さんがいる。
やれる範囲のことをやる。できたら自分を褒める。できなかったら明日トライしてみようと建設的に考える。そこで、こんなこともできない俺なんか駄目だと思ったら、それは自分には才能があるという驕った考えで、できるはずなのに情けないと自分を追い詰める。できた日を増やしていくことが現実的な目標設定だ。
驕った考え方とは言い換えると一足飛びに理想的にできるようになろうということで、今までやってきて、これくらいできればいい方だった、そんな調子が良い日が増えればいいくらいに思うのが現実的な目標設定だ。驕った考え方をすると自分を追い詰めるし状態が悪くなる悪循環に嵌る。
それだって、とんとん拍子に進んでいれば、とっくに社会復帰しているはずで、日々、少しでも進めたら、頑張った自分を褒めて次につながる心理状態を作っていくというのが現実的な目標設定だ。できたことに関しては自分を褒める、これが次に繋がる心理状態を作り、自分にとっても周囲でサポートしてくれている人にとっても喜ばしいことだ。
そういうことでは認知行動療法は役に立つかなと。認知行動療法は取って付けたようで嫌だったのだが、自分だけでだと同じパターンで失敗する人がいるので、「守破離」という言葉があるが、最初に型を学ぶということで役に立つのかもしれないと思うようになった。
(ここで話は守破離という言葉に飛ぶ)師匠を超えるというのはそういうことだけど、あなたの場合は親が変わった人だから、それを超えると考えなくていい。まず、自分らしく生きて、どうやったら世の中での中で生きていけるのか、みんなとワイワイやることに限らず、ひっそりと何かしていても自分に合った形で目標を持つ。
自分を追い込まず、でもできそうな小さな目標を持ち、できなくてもまた頑張ろう、みたいなね。

 

 と、ほぼ先生が一方的に話して診察は終わりになった。これ以前に、眠れないとか薬についてとかの話は別にしているのだけど、そこは割愛。明日は、これを自分なりにどう捉えたか、今日の日記を転載します。