今日は葉桜忌と呼ばれる作家・鷺沢萠の命日である。先週あたり、今日までに作品を1品読んで書評を書こうと思ったのだが成せなかった。
それでも今日は本を持って喫茶店に行った。なんとなく今日には『遮断機』という作品が相応しく思えて所収する『さいはての二人』を持って行った。
しかし、どうして、こんなことになってしまったのだと思う。本を読みたくても、それさえもできない。努力したくてもできないというのが、こうも辛いものか。
読書だけではない。近所に、さる映画監督が経営するバーがあるという。20年前の私なら聞くや否や飛んで行ったはずだ。そんな、楽しいことさえもできない。
いっそ、努力家などに生まれなければ良かったと思う。何もせずにゴロゴロしていても疑問を感じなければ、どんなに楽か。
『遮断機』の末尾より引く。本当は、ここから文末まで全て引きたいが、一部に留める。ぜひ手に取って読んで欲しい。
「でもよ、おねえちゃん」
どすん、と椅子に腰かけて、おじいは真正面から笑子を見た。
「でも、こんなところまで来ちゃ、いけねえよ」
笑子も真っ直ぐにおじいを見つめ返した。
笑子にももう判っていた。第一、こんなに遅い時間に、あれほど長いあいだ遮断機が上がらないわけがない。
「やっぱり、連れていってはくれないんだ…」
呟くように笑子が言うと、おじいはさも可笑しそうに声をあげて笑った。聞いているだけでこちらも楽しくなってきてしまうような笑い声だった。
「そりゃ駄目さあ、おねえちゃんはまだ死んでねえんだもの」
鷺沢萠氏31歳のときの作品。2004年に35歳で没してから今年で17年が経つ。
参考・去年のこのBlogのエントリー