身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

TVドラマ「にじいろカルテ」を観て思い出す西田尚美さんのこと。

 ダルいの次は眠いである。気を失うように1時間半眠ってしまって、外出の予定がフイに。心臓が針の筵の上で転がされている感じがして寝ても起きてもいられないときに比べれば、楽といえば楽なのだが、1日中、何もできないのには変わりがない。

 TVドラマ「にじいろカルテ」の最終回が昨日だとは知らずTVerで配信を観る。そのような体調で最初は苦痛だったのだが、途中から涙が止まらなくなった。あ、あれだと思った。「最後から二番目の恋」と同じ。恋愛とか友情とか。岡田惠和さん、やってくれるじゃないか。

 

 物語を追い始めると長くなるし涙が止まらなくなるので、こんな話をしようと思う。

 

 20年ほど前、私は西新宿にある国際電信電話会社に勤めていて、半年で60㎏太った。残ろうと思えば残れたのだろうが、会社の吸収合併を機に辞めた。健康が持たないと思った。昨日、入ったズボンが、もう、今日は入らないのだ。

 常々書いているが、精神状態が良くない時期の記憶がない。当時、ものすごく美人で性格が穏やかな女友達がいたのだが、その後、連絡を取る余裕がなかったどころか、在籍中のことすら記憶にない。今になると惜しいことをしたと思う。

 ストレスで毎日、ウィスキーを1本開けて暴飲暴食をした挙句の脂肪肝だった。医者には、方法はどうでもいいから体重を落とせを言われた。私は毎日、白金にある寓居から恵比寿・代官山を通って山手通りを大回りして代々木を通って新宿まで歩き、20㎏落とした。

 今はどうか知らないが、代々木の明治神宮の裏手、参宮橋の方には、お屋敷をそのまま建て直した低層マンションが多くあった。ホーマットのマンションの正面に灯篭が配してあるように、建て直す前の庭石などが配してあるマンションが多数あった。

 あるとき、私は、趣のある置石? があるマンションを見付けた。いくら見ても見飽きなかった。毎日、歩くときは、必ず、そのマンションの前を通るようになった。町自体が静謐を絵に描いたような町で、「佇んでいる」というのは、こういうことかと思うマンションだった。

 私は1日に1回の食事を新宿のドトールで摂っていた。唯一の家族である両親との仲も最も険悪なときで、その1食だけが唯一使う飲食費だった。そのようなことを考えると代々木を通るのは午前11時前後のことで、人通りなど全くといっていいほどなかった。

 そんな日中、私は飽きることなくマンションを眺めていたら、どうも、そのマンションに出入りする女の子が一人いることに気が付いた。大体、こういうことがあると、その人と懇意になるのが私の常なのだが、その女の子は私を訝しがった。

 その理由が判ったのは、しばらくしてからの雑誌だった。なんと、「ナビィの恋」という映画で一世を風靡した西田尚美という女優だったのだ。端的に、私はストーカーと間違われていたわけだ。

 

 言い訳がましいというか、それで放っておけばいいのに何とかしなければと思うのが私の変なところ。まさか、本人に、私はストーカーじゃないんですぅと言ったところで、なおさら気味悪がられるだけである。

 私は、なぜか、「ナビィの恋」の助監督をしている映画監督が運営している個人サイトのコラムの熱心な読者だった。そのような精神状態でロクな物が書けないのに、自分が書いた物を送っては酷評されることもあった。Webが仕事なので西田尚美さんの個人サイトの管理もしていた。

 そこに活路を見出すというのは変な表現だが、それとなぁく、私はストーカーではないですよということを吹き込んだ。ただ、それだけの話だが、「にじいろカルテ」で見る西田尚美さんが昔と変わらずキュートで、ふとそんなことを思い出した。

パイナップルツアーズ

「パイナップルツアーズ」は両監督の出世作というだけで西田尚美さんは出ていません。