身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

死にたい気持ちは育てられるものかも。

 今年、初めて感じた感情は「死にたい」で、正月1番に口にした言葉もそれである。Facebookを見て、バイクに乗る友人が元旦ツーリングなどを楽しんでいるのを見て、いいなぁと書いたら、もっと積極的に楽しまないとといわれた。

 前述のように私は遊ぶことを許されず子供のときから部屋に監禁されていた。本を読んでいても破り捨てられた。よく両親を惨殺しませんでしたねと主治医に言われた。なので、これといって楽しみはない。

 楽しみがないどころか何をやっても楽しくない。友達付き合いをすると怒られる。むしろ後ろめたささえ感じる。親は、私が若ければ大型の免許を取ってバイクで走り回るのにと言いながら、言った相手には、それを許さない。

 なので、楽しめと言われたところで何をやっても楽しくないのだ。結局、私の楽しみは勉強となったが、家族には勉強など楽しいはずがないから机に向かっていられるというのはボーッとしているに決まっていると言われ、大学には行かせてもらえなかった。当然、成績は全優だし大学には合格しているのにもかかわらずである。

 私がクズ医者と呼ぶ前任の主治医に高校で教師のイジメに遭ったことを話したら、やはり勉強なんて面白いはずがないのだから、体育以外、高校など面白いはずがないと言われた。私には体育など面白くないし、その教師のイジメで自殺した生徒が複数いるのに、そういうことを考慮に入れないのは思慮が浅いと思う。

 結局、その教師のイジメで自殺した数人の生徒といい、結局、死にたいと思う人は楽しむことを削いで削いで削がれてきたのではないかと思う。生きる喜びを徹底的に排除する、そうすると死ぬということは自然と選択肢に入って来る。