身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

アル中。

 これを書きながら、実は今も飲んでいる。さすがに人様のものを読んでいるときは酔っぱらってはいられないが、自分のものだもの。しかし、詩歌を書くときは不思議と酔っているときの方が評判が良い。

 私の叔父はアル中で死んだ(直接の死因は心不全だが)。叔父を可愛がっている父が死んで半年も経たなかった。

 ある日、これも叔父を可愛がっている母(叔父の姉)の家に来たはいいが、震えて箸も持てなかったそうである。そして、どこに行くときも泊りのときはボストンバックを持っているのだが、下着同然の格好で手ぶらで来たそうである。

 なんとか連れて帰ってくれと電話が来て、さすがに自力で帰ったようだが、死の一報を聞いたのは、その直後だった。

 前任の訪問看護師は酒に煩い人で、酒で人生を駄目にしそうになったことがあるそうだ。なので、酒に対する恨みというより私怨といえよう。

 今、私は、苦言こそ言われるものの自由に酒を飲むことができる。若いときはウィスキーを1晩でボトル1本開けていたのだが、量だけでなく、質も、ビール以外受け付けなくなった。

 私がBlogを書いているのを知っている新任の保健師(看護師ではない)は、ビール自体について書くのもありですよというのだが、持論として、寄っているときに酔っていることについての文章は書けない(Twitter友達に「今夜、すベてのバーで」を勧められたが、まだ読んでいない)。

 保健師は、明後日、寓居を訪問してくれるという。歴代の保健師で初めてのことで、非常にありがたいと思っている。

 しかし、こうして酒を飲みながら、なんとなく叔父の死というものを身近で感じることができる。今度、物を書くとしたら、たぶん、このことだろう。

 酔っぱらっていて脈絡のない文章で申し訳ない。幸い、デバイスには掛からなかったが、今、ビールをひっくり返した。