身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

倫理の原点は違和感を覚えるかどうか(TVドラマ「素敵な選TAXI」を観て)。

 コロナ禍で撮影できなかった番組の代わりにフジテレビで2014年制作のTVドラマ「素敵な選TAXI」が特別編で放送された。コロナ禍の代替放送では、色々な放送局で古くて良い番組をチョイスしているのだが、本作はリアルタイムで観たことがないので観た。

 なんといってもバカリズムさんによる脚本がいい。宮藤官九郎さんみたいに不要なギャクを突っ込んできたりせず、コメディながらシリアスなところは茶化さずに見せる演出がいい。そして、各「選択肢」をRETRYと言って最初からやり直す素直なところがいい。

 TVドラマである以上、結末はハッピーエンディングにしなくてはいけないのだが、主人公がしくじって、それをどうやってリカバーするのだろうと思うと、準主人公が、分岐点のさらに前に遡って物語の筋を変えるとか、当然、その後も筋が変わるように脚本を書いておかなければならないので、頭いいなぁと驚かされる。

 さて、タイムスリップ(タイムリープ)を描いた作品であるが、1話だけ、タイムスリップしない回がある。ラス前の強盗事件を描いたものである。何についてだか忘れたし、それが犯罪者が犯罪を犯す前に戻りたいというのを否定する理由であったかも忘れたが、タイムマシンであるタクシーの運転手の竹野内豊さん演じる枝分(役の名前)が、なんか違うんだよなぁと言う。

 このセリフを聞いた時、重要なのは、この感覚よね、と思った。過去に遡ってやり直したいということ自体「なんか違うんだよなぁ」ではあるが、人生を変えるような大きな「やり直し」はない。元ヤンがヤンキーになる前からやり直したいと言う回があるが、枝分は、それはお勧めしませんと言う。人生は、様々な要因から成り立っているのだから、良くも悪くも今日の自分はありませんよというようなことを言う。

 この「なんか違うんだよなぁ」という感覚こそ、人間の倫理観の根本にあるのではないかと思う。私など、例えば病気や怪我をして手術で病巣を取るということには違和感は覚えないが、それを、他人の臓器を移植して、となると、「なんか違うんだよなぁ」と思う。前シーズンのTBSのTVドラマ「病室で念仏を唱えないでください」では、泉谷しげるさん演じる末期がん患者は、エンディングノートで「胃ろう」も拒否する。

 私は「胃ろう」については上に挙げたドラマと同じ考えなのだが、そのことについて話した知人は、それを積極的に受け入れると言う。その人の意見としては、その人が「なんか違うんだよなぁ」と思うことは、自分で意思決定すればいいんじゃないの? とのことだった。

 変な話だが、私は自殺を否定しない。何度も書いているが、生き地獄とか死んだほうがマシという状況では苦痛が長引くだけだと思うからだ。しかし、入水や飛び降り、服毒などは肯定するが、一部の欧米で行われている、他人に毒物を点滴してもらって安楽死するというのは「なんか違うんだよなぁ」と思う。

 私は、さる企業の企業城下町に近い場所にある高校に通っていた。そこでは、親は皆、同じ会社に勤めているのは去ることながら、同じ時間に会社に行って同じ作業をして、同じ社宅に帰り、同じような娯楽を楽しむ。サイバーエージェント藤田晋さんも似たような環境にいて、なんか違うんだよなぁと思ったことが起業の理由の1つだと聞いたことがある。

 結局、人間が生きていく最大の感覚は、この「なんか違うんだよなぁ」にあるのではないかと思っている。仕事をして稼いだ金でないと、使うときに「なんか違うんだよなぁ」と思い、それが今の私の最大の問題なのだが、その感覚により、搾取して金を稼ごうとは思わない。そのくせ、自分はしないが賭け事は否定しないし宝くじは買っている。しかし、賭け事を否定するどころか保険まで賭け事の一種として禁じる宗教もあるという。

 翻って、最先端医療について。どこまでが許されるのか侃々諤々(かんかんがくがく)の理論が起こって倫理委員会というものまで作られているが、基本は、「なんか違うんだよなぁ」ではないかと思う。結局、ここまで人間がやっていいのか、なんか違うんだよなぁということではないのか。

 

 関係ない話だが、治水工事など、止むに止まれる理由での地形の変更には肯定的であるが、都市再開発・宅地造成のために山を崩してまで地形を変えることは、なんか違うんだよなぁと私は思う。