身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

精神病で楽しい人生を諦めること。

 今日は訪問看護師が来る。昼なのだが、その時間に起きておらず、布団からフラフラと這い出して、さらに起きているのが辛い。会社で組織替えがあって平日の9時5時しか対応しないようになるかもとのこと。

 訪問看護師にはフラッシュバックと言われたが、高給取りだったころに買った100万円のカメラは壊れているし(ちなみに、当時は物見高い人たちが集まってきて写真を撮るどころではなかった)幾ら、無駄にしたのだろうと青ざめる。

 最近、美味いものを食べようと思わない。食べようと思う以前に、何を食べても美味しくない。そんな中、Webの広告を見ていたら、こんな広告が。修復歴なし、メーターの巻き戻しもなし。

archive.is

 

 もし私がサラリーマンを続けていれば余裕で買えただろう(「だろう」というのは自動車の維持費が判らないため)。しかも、アクセサリーは、ほぼオリジナルだし状態も良さそう。買いたいな、ではなく、買えないと思ってしまうのが、やはり鬱なのか。

 もう人生、半分も残っていない。自分の好きなものを買って、好きな場所に行って、好きなことをして過ごしたいと思う。しかし、病気で1日に1時間も行動できない。バスで30分の渋谷さえ、この3ヶ月で2回しか行けていない。

 家も、昔は他人を泊めて、綺麗にお過ごしですねと言われていたのが、今は汚部屋だ。これも、自宅の家の床が生ごみで埋まっているような変な女に居座られたからだし、好きなものを食べられなくなったのも、どうしてそういう経緯になったのか忘れたが、300円の牛丼を食べるのさえ親に申告していて、詰られたからだ。

 心臓が針の筵の上で転がされている思いがした当時、文字通り布団が小便臭かったのだが、体調が悪くて用を足すのも儘ならなかったと、後になって判った。変な女に居座られるのも、親に詰られるようなことをしたのも、すべて病気のせいだ。

 猛勉強をして、一生の仕事と思えるものを見付け出したのに、勉強など嫌いなものに決まっているからと全優の成績を取ったのに進学させてもらえなかったこと。好きでもない会社に入っても、まぁ、やるから位は人並み以上のことをした。これくらいの幸せ、報われてもいいのではないかと思う。

 

 

4月24日・画像追加

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