身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

殺人犯を作るのは世間かもしれない(TVドラマ「知らなくていいコト」を観ながら)。

 私自身が殺人犯にされていたかもしれない経験があるので、久しぶりに「身の上話」カテゴリーで真剣に考えてみようと思う。ここでいう殺人犯は、殺人犯扱いされる、真犯人だけでなく、真犯人でもないのに犯人扱いされている人、容疑者、犯罪予備軍と言われる人。

 

 朝からPCに向かっている。何をしているのかというとTVerでTVドラマを観ている。「知らなくていいコト」など、録画が残っていないのでリアルタイムで観ているはずだが、眠剤のせいか、まったく内容を覚えていない。しかも、今朝、観た内容もウロ覚えで、今、バックグラウンドで音声だけザッピングしながら、これをしたためている。

 今シーズン観ているTVドラマに殺人犯を扱ったものが2本ある。1本は、この「知らなくていいコト」、もう1本は「テセウスの船」だ。ジャンル的にいうと前者はヒューマンドラマ、後者はミステリーとなるだろうが、描かれている、世間に追い詰められた殺人犯の姿は似ている。

 

 その「知らなくていいコト」2月5日放送分の第5話では、元農水事務次官長男殺害事件をモチーフに取り、吉高由里子さん演じる主人公の週刊誌記者・真壁ケイトが「警察も弁護士も裁判所もマスコミもみんな判りやすく納得する方法に流れやすい、その流れの中で出来上がった話」で満足せず、事の真相に迫ろうとする。

 もう少しTVドラマについて具体的に書こうと思ったのだが、未見の人もいるだろうことに加え、今回、私が取り上げたいことは副次的に扱われているので割愛する。加害者が悪いという風潮を週刊誌記事が変えるというもので、ちょうどいい週刊誌記事がひとつある。

dot.asahi.com

 

 今、この前それ何といわれた「5ちゃんねる」などではなく、いわゆるリライアブル・ソース(信頼すべき情報筋)といわれるニュースソースを見ても、悪いのは被害者という論調が強い。私は、その風潮こそが怖いと思う。それをいったら私も殺されていただろうし、それも正当化されていたかもしれない。

 私の場合は主治医に親から引き離されたのだが、高校を退学になった当時、私の父は私に殺されると近所に触れ回っていたという。父が死んで約30年ぶりに実家に帰ったら、近所の人に、父が近所に触れ回っている人物像と、あまりに違うと言われた。

 それでは、父は私のことを、近所に、どのように言っていたのか。まさに、この被害者と同じようなことだ。朝から晩までゴロゴロして、TVを観て遊んでばかりいる。確かに、私は、居間で動けなくなっていると、父親に殴る蹴るされた。そして、その手を振りほどくと家庭内暴力だと110番通報された。親が何ヶ月も音信不通のときに警察に安否確認を頼んだだけで世間体が悪いと言っていたのに、だったら自分が警察に通報、しかも110番したのは世間体を操作する以外、何だったのだ。

 今になると、これこそが、ある意味「作られた世論」という気がする。ざっと見た限り、実家にはゲーム機どころかビデオデッキもなく(当時、同級生の家でPCがある家はあってもビデオデッキがないのは私の家だけだった)、私は被害者より4歳上だが、その程度の私立大学の付属くらいだったら大学から入れと言われた。私より頭が良い同級生でも、国立大学の付属くらいしか中学から外部には行かせてもらえなかったのではないか。頭が良くて駒場東邦と書かれているのを見て失笑してしまったくらいだ。

 この父親である加害者の話も、どうしても話半分以下で聞いてしまう。そもそも、殺人の直接のトリガーとなったという「自分の息子が他人を殺すかもしれない」というのは何なのだ。本当に殺すかもしれないのなら精神科の医師でなくても警察だって何とかするだろう。それをしないで人殺しをすることが法治国家で肯定されて良いのか。

 結局、私の父もそうだが、この加害者も、どこまで自分の主観なのか判らないのだ。被害者の妹も自殺しているということだが、被害者のせいで結婚が破談になったのを苦にしてという報道があるが、それが理由だと示すファクターがない。それすら父親の主観ではないのか。

 また、矛盾を感じるのは、世間体があるから行政機関に相談に行けなかったという一方で、コミケで被害者のグッズを販売していたという。どうも、父親の言っていることとやっていることがチグハグに感じられる。

 あと、私がシグニフィカントだと感じるのは、加害者は患者ではないのに精神科に通っていたということだ。これも私の場合と酷似していて、身体が動かない私に代わって親が診察に行ったとき、当時の主治医は、この親からはすぐに離さなければならないと思ったそうだ。しかし当時の主治医は私の親には何もしなかった。

 今の主治医は、今からでは遅いが(実際、父は2年前に死んだ)本来なら親が治療すべきだったと言う。また、私の父親は、ある一点で元農水事務次官長男殺害事件、さらには湯島金属バット殺人事件の加害者と共通点があるのだが(東大卒ではないです)、その共通点を持つ2人に1人が発達障害というデータもあるという。

 私が言いたいのは、私の場合も、これらの事件の場合も、父親の言うことを一方的に信じないで欲しいということだ。甘やかされて非生産的快楽にふける長男の像、その長男に甲斐甲斐しく尽くす父親の像、それを肯定する世間。翻って上に掲げた週刊朝日の記事のコメント欄を読んで欲しいと思う。

 

 「テセウスの船」については「知らなくていいコト」に先立って観始めた。「知らなくていいコト」について長々と書いたので、書くとしたら改めて書く(書かない可能性が大きい)。

 しかし、拘置所に収監されている登場人物や、その家族、結末まで真犯人か否かは判らないが、もし真犯人でも、刑罰以外で何かしていいものか。いっとき寓居の近所に佐川君が住んでいたらしいが静かなものだった。本当に住んでいたのかどうか知らないし、それを追及したいとも思わなかった。それが大人の文化というものだろう。

 なんか、関連団体が声明を出したが、魔女狩りではなく「ヒッキー狩り」が起こりそうな機運が怖い(ちなみにヒッキーという言葉を初めて聞いた時、折しも宇多田ヒカルさんがブレイクしていたので彼女のことだと思ったら引き籠りのことだった)。これも既述だが、私が会社を辞めたいうだけで引き籠りでもないのにゲーム飽きたでしょうと言われるくらいだ。小学校を襲う準備をしている殺人犯くらい、言う人は言うのではないかと思う。