身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

3つの元号。

 年が明けて手帳を取り替えた。私は他に日記も付けているのだが、日記は表紙が煩いので割愛。ある年、新潮社からスリム手帳をいただいて、それは革の表紙にケース入りで何千円もしたが、同じものの普及版を使っている。

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 先月の「平成の天皇誕生日」は手帳やカレンダーには記されていたのに、旗日(休日)なのか判らないよねという話をしていたのだが、結局は平日だった。退位の日や即位の日は、カレンダーでは同様に日付は赤字で記されていなかったのに、逆に休日だった。

 この、昨年の手帳にも平成31年と記されていない。手元にないから判らないが、確か、昭和64年・平成元年のときは、天皇崩御するのを待っていましたという感じがして嫌だったのか、きちんと昭和64年と記されていた気がする。

 さて、1年の計など考える立場でもなければ考える内容もないのだが、今年の手帳を見てショッキングだったのは、1972(昭和47年)1月21日生まれの私は、なんと、今年、年男になることだった。しかも1月を切っている。

 年を取るごとに時間の流れを早く感じるというが、36歳からの自分は、周囲に何もなく、私自身、まったく成長していない気がする。ちなみに、手元の手帳を見ると前回の子年は平成20年で、その前ですら、すでに平成8年と平成に入っている。昭和より平成の時代のほうが長く生きている、これ自体ショックだ。

 一昨年末、父が亡くなり、昨年、私は相続の手続きに飛び回った。銀行の中では和暦を使ってくれというところと西暦を使ってくれというところがあった。また、東京都港区では、立地柄、西暦でも申請書の記入は可能である。もう、年号に拘っている時代ではないのかもしれない。

 私は昭和47年生まれで、当たり前だが、そのとき、すでに昭和天皇は即位して47年だ。激動の昭和を生き抜いたどころか牽引してきた人物である。命の消耗は普通の人どころではないと思う。しかし、なぜか、彼は永久に崩御しない気がした。それが、すでに、その後に元号を2つ経ている。

 私が社会に出たのが1994年(学籍番号が西暦だったので、これは元号ではなく西暦で覚えている)、TVなどで、それ以降に生まれたタレントさんなどを見ると若いなと思っていたが、33歳の人ですら、すでに元号を3つ、経ていることになる。バスの中で書いているので、だらしない文章になってしまったが、とにかく、私は3つの元号を経た人間でも、さらに古いほうの人間なのだなと実感した年の始まりだった。