身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

ちょっとしたレジェンド。

  最近、個人のBlogで、数回、目にしたので書くが、星新一という作家がいた。私が中学生のときは教科書に載っていたし、それだけ好かれている著名な作家なので解説は要らないだろう。寓居の近所(高輪)に住んでいた、というより私が彼を頼って、ここに引っ越した。亡くなる何年も前から会っていないのだが、家にはサイン本が何冊もある。

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全集を見れば判るがサインも落款も何種類もバリエーションがある

 星先生に限らず精神を病んでいる間に疎遠になった人が多い。つい最近だと、去年、母校・神田外語学院で校友会主催の初の同窓会があった。それまでは単に寄付金集めの団体だったのが、OBのための組織・対外的なPR組織として改変されたことによる。そのような理由から、その1回しか開かれていない。

 同時に始まった校友会のSNSに、この人たちに会いたかったという先生方が載っていて、その旨をコメントしたら、事務局の人間から彼らは“レジェンド”だからとコメントが返ってきた。少し違うが予備校の名物教師みたいなもので、ただ、神田外語はクラスは成績順で振り分けられていたから、彼らの授業を受けることは、予備校よりもハードルが高い。

 私が在籍したのは25年前のことだ。“レジェンド”として学校を牽引していた先生方が、他大学と兼任しながらも現役でいるのは嬉しい。また、同級生に国民的歌手がいることは書いたが、その後、私の大好きな作家も単科だが在籍している。専門学校はキャンパスがコンパクトにまとまっているから(この前、1棟、購入したというが、なんせ校舎の半分近くが貸しビルである)だいたい、友達になろうと思えばなれる。

 また、精神を病んでいる間に忘れられてしまったということもある。このBlogに何回か書いている村松友視先生も、そのひとり。どこでお会いしましたっけと言われて、トニーズ・バーでと言ったら、あまりに昔すぎて忘れたと言われた。村松氏は、そのバーの70周年の会の発起人で、私に招待状を送ってきたのに、である。(ネットを見ると、すでに閉店して時間が経っている店のせいか、かなり、いい加減なことが書いてある。)

 そんな村松先生の著書に「夢の始末書」という本がある。村松先生の出版業界でのスタートは中央公論社の文芸編集者(縁故入社?)で、出会った作家になどについてのエピソードが記されている。タイトルには出版社を辞めて、それらの夢のような時にキリを付けるという意味が含まれている。

夢の始末書 (角川文庫)

 

 そして、この本にインスパイアされて同様な本を書いた人物がいる。写真家の浅井愼平さんだ。止せばいいのに、その本を村松先生に見せ、きっと、共通の登場人物がいるから何か言われるのではないかと期待したのであろうが、出版界と同じようなことが写真業界もあったということで、という言葉で一蹴されてしまった。

セントラルアパート物語

 

 これも書いた気もするが、前回、村松先生を吉祥寺の自宅に訪ねたとき、すでに村松先生は表に出ることができず、秋子夫人が、やっとの思いで出ていらっしゃった。もう、会えないかもしれないなと思うと同時に、私が病気さえしなければ忘れられることもなかったのにと思う。

 病気をする前、住んでいる白金という土地柄、多くの俳優さんと交友があった。その中の1人、最近になり人気が出た女優さんが近所に引っ越してきて、よく犬の散歩の途中で顔を合わせるのだが、当時、私がポートレートを撮っている(何でもやっているな)のに、完全に忘れられている。

 浅井さんの上記の本に、破天荒な行動をしている人を見て、世に出ることが目に見えているので、これは伝説を作っているなと思うという描写が出てくる。私は、有名人願望もないし、有名人に知り合いがいることも、さして誇りに思う人間ではないが(例えば専門学校の先生なんて有名人ではない)、自分が尊敬する人たちと交友が無くなるのは寂しいものだ。