身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

生に執着する理由。

 今日も苦しんだ。やっと起き上がったがボロボロに疲れている。そして、これだけ苦しんで、よく生きるのを諦めないなと自分で思う。平均的な人が一生に感じる苦痛の総和の2回分くらいを味わっている気がする。

 午後8時まで、のたうち回って、やっと起き上がったものの、風呂に1週間、入れないどころか洗濯も何週間分も溜まっている。食事も買いに行けず何も食べていない。そんな人間らしい生活もできず、なぜ自分は生きているのか。

 よく言う人がいるが、自分が死んだら誰かが悲しむというのは、理由としては軽い気がする。自分のことが大変だと、他人のことなど気にする余裕などない。まだ死んでいない私でさえ、自分が楽になれるのだったら、他人のことなど、どうだっていい。

 大変な思いと書いて、ふと、小さな子供を持つシングルマザーのことを考えた。自分に子育ての経験がないから、そう思うのかもしれないが、勤めも家事も分担できる人がいないで子育てというのは大変だと思う。

 そういう人は、どんなに辛くても、生きるのを放り投げることはできない。これは、自分が死んだら子供が悲しむということではなく、心配だと思って踏みとどまっているのだと思う。

 生きるとは本能だといえば、それまでだが、幸せになりたいという欲求が満たされないどころか苦痛しかないとき、それでも何で人間は生きているのだろうか。苦しい苦しいといえど、私より苦しい人も沢山いるはずだ。人間は、なぜ生きるのか。なかなか回答が出ない問題だ。

 

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