身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

そこであることの必要性(中江裕司監督「ナビィの恋」を観て)。

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 昨日、書いたように「ねりま沖縄映画祭2019」というイベントに行った。しかし練馬は遠かった。池袋から西武線で数駅という知識しかなく、その知識だけだと、あまり遠く感じない。

 しかし、大江戸線で行ったのだが新宿を過ぎても行先表示のサイネージに「練馬」という表示が現れない。ひょっとして乗る路線を間違えたかと路線図を確認したら、新宿から8駅目である。快速がない大江戸線を呪った。

 午後2時の上映開始で、会場に入ったのは午後1時50分である。私は知己の真喜屋力氏に会いに来たのだが、真喜屋さんは自分のプログラムのために多忙。そうこうしているうちに本編である中江裕司監督「ナビィの恋」の上映が開始。

 笠智衆さんが若いときから老け役をやっていたように、平良とみさんは若いときからオバァだった。「ナビィの恋」は、ある意味、平良とみさんと西田尚美さんの出世作ともいえる作品だが、平良とみさんと違い西田尚美さんは私の印象より若い。

 当時、西田尚美さんにストーカーと間違われたことがあり、そのために西田さんの容姿といえば当時のものが頭に焼き付けられているはずだが、それよりも、かなり若い。ネットでは西田さんは実年齢より若く見えるという声を目にするが、歳を取っても老けないというのではなく、年相応に老けても若く見える。すなわち当時の西田さんは、当時の年齢よりも、さらに若く見える。

 西田尚美という女優を通じて、その出演作「ナビィの恋」の助監督だった真喜屋さんと出会うわけだが、それだけ私にとってエポックメーキングな作品であるにもかかわらず、観るのは、おそらく初めてだ。

 当時、中江組は次回作「ホテル・ハイビスカス」の制作に力を注いでいて、私は、平良とみさんや登川誠仁さんが来た舞台挨拶のときに、それは観ている。中江裕司氏が昨日のトークショーで話していたが、2人とも、すでに、この世にいない。

 そのとき、真喜屋さんの友人の映画評論家が、「ホテル・ハイビスカス」を、沖縄を抜きにしても面白い映画と評していたが、沖縄を売りにした映画でもそうなのだから、その前作となる本作品は、なおさら沖縄である必要性はない。

 上映後のトークショーで聞いた話では、中江監督自ら、最初は沖縄ということよりも老人の恋ということを前面に出したのに、沖縄ということが着目されたのは意外だったようだ。そして、平良とみさんが大ブレークして、NHK連続テレビ小説「ちゅらさん」起爆剤とした沖縄ブームが発生する。

 私も当時、足しげく沖縄に通っていて、沖縄在住で居候させてくれた友人たちは、私もブームに乗ったかと思ったそうである。薩摩と中国への両属という立場を取っていた琉球という歴史を持つエスニックな魅力は感じたものの、さほど、沖縄ならではという遊びはしなかった。例えば海には入らなかったし、民謡酒場などにも行かなかった。

 本当に映画1本が終わってボロボロに疲れて話を聞いていたうえに、その後、真喜屋さんのプログラム「デジタルで甦る 8ミリの沖縄 in ねりま沖縄映画祭2019」を観て、もう、ほとんど話が飛んで行っているが、中江監督の言葉で印象に残っているのは、自分たちが運営に関わっている映画館で沖縄の焼き物を販売しているが、あまり沖縄の色がないものは置かないようにしているということだった。

 また、これは、中江監督の話で出てきたのか真喜屋さんの話で出てきたのか忘れたが(まぁ中江監督のトークショーといいつつ壇上には2人で上がっているのだが)「カンカラ三線」は米軍の支配下に置かれた人たちが米軍のもので作り始めたなんて嘘で以前からあるというものもあった。

 ここから少し真喜屋さんのプログラムから引用すると、紹介された沖縄の8㎜映画フィルムの中に、意外と1950年代のものが多かった。写っている車もキャデラックとかリンカーンとかで、富裕層といわれる人たちは早くからカメラを持っていたそうである。それが、時代を経るにしたがって、写真館などの職業写真家に近い人や一般の人たちへ広がっていったそうだ。

 彼らの社交の様子は「琉米親善」とは関係ないもののようだし、家族の歴史が数点、紹介されたが、そこに映っている映像も、裕福だが普通の家族の肖像である。ただ、友人の家に遊びに行って家族の家族アルバムなど見せられても面白くないのに、今回は面白かったのは、編集した真喜屋さんが映画監督ということもあるかもしれない。

 しかし、それすらも、沖縄だから面白いということではない。私は沖縄では国産車も左ハンドルだったんだというところに目が行ったのだが、編集した真喜屋さんは、そんなところには気にも留めていない様子だった。

 例によって、また何がいいたいのか判らなくなってしまったが、その土地ならではというものは、意外と、そこに暮らしている人には判らないのかもしれない。私は生まれも育ちも東京だが(育ちの半分は松戸だが東京に隣接しているので東京として扱う)東京に来てコレを見ておけというものは、せいぜい、東京タワーと浅草と… という程度だ。

 土地柄というのは、ある意味“借り物”で、結局、根本にある人間の考えや感情というものはユニバーサルなものなのだと思った。逆に、ユニバーサルでなくては万人に通じない。ローカルであろうあろうとしても、その段階で、すでにグローバルだという感じがする。

 

P.S. 昨日、練馬を発ったのは午後8時50分(練馬滞在時間7時間)。新宿駅西口には午後9時ごろに着いたのに、やはり疲れていたのか、地下道を行き過ぎてしまい、次のバスは終バス(危ねぇ…)。家に着いたのは午後10時20分と、片道1時間半も掛かった。

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例によって歌舞伎町の深夜食堂風の動画。(音が出ます)


2019年09月23日・都バス車窓より歌舞伎町