身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

私には見方がいない。

 昼、這う這うの体で自宅マンション1階にあるコンビニ行くと、家の前にできたオフィスビルに勤めている人たちが大量に買い物に来ている。勤め人に囲まれて、私は、四面楚歌である。

 以前、「普通に生活がしたい。」というエントリーをアップした。平日は、朝、眠さと戦いながら起きて、前の日に用意しておいたスーツやネクタイをして、電車に揺られ、同僚と食事をし時には酒を飲み、帰って靴くらいは磨いて寝る。

 土曜日には掃除機をかけ洗濯をし、ワイシャツにアイロンをかけ、日曜日は外出して自分の好きなことをする。しばらく前までしていた、そんな生活が、ものすごく遠いことのように思える。そうしたいのに、そのための努力なら惜しまないのに。

 意識を失って起きられないのは、自分の意志では何ともできない。それを、近所の人に怠けていると言われる。綺麗に暮らしていたのに、などと言われるが、甘い言葉をささやく変な女に汚部屋にされてしまったものの、今でも綺麗に暮らしたい気持ちは変わらない。弱みに付け込む女だった。

 唯一、話を聞いてくれるのは、保健所にいる前任の保健師さんだけである。さすがに、現任の保健師さんがいるので立場上… と言われるが、現任の保健師さんに電話をしても、週に1回、通院しているのなら医者に言ってくれで終わり。

 この前、読んだ鷺沢萠『夢を見ずにおやすみ』で、主人公は家庭を持つことは「絶対的な見方」をつくることだと思う。私は、子供のとき、家庭の中にいた。しかし、両親でさえ「絶対的な見方」ではない。そのくせツルむのは不良のやる事と言って、私を、どんどん友達から孤立させていった。私は「絶対的な見方」を持ったことがない。

 友達になった途端に友達を奴隷か何かのように扱うやつが多く、そして、そういうやつに限って、友達がいないのは相手が服従しないのが悪いと声を大にして叫ぶ。"Oh, Pretty Woman"の歌詞に"'Cause I need you, I'll treat you right."とあるが、私は友達を友達として扱っているのだが、服従しろと言われると興ざめする。

 自分に服従しろというような人間としか友達付き合いさせなかった親は、ガールフレンドなど難癖を付けて蹴散らしてしまった。はたして結婚していたら、そこには「絶対的な見方」はいたのだろうか。いずれにせよ、時すでに遅い。