身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

書くべきこと、書けそうなこと。

 午後8時半、本当に、今、帰った。昨日、通院から、そのまま地下鉄に乗って直通のJR常磐線北小金へ。一度、子供ではなく親に対して使ってみたかった「いい子にしている」という台詞。今回の母は聞き分けが良く、とっとと帰ってこられた。

 ファッショニスタ・シュリンクこと私の主治医に、処理が溜まっているからお願いしますって言われたんですよと言うと、あれだけ罵詈雑言を吐きながら何を言っているでしょうね、認知症が入っていますか? と言われる。

 母は76歳にして認知症が入っていないのが救いで、もし、介護のために一緒に住めと言われたらと思うと虫酸が走る。シュリンクも、世話になっている前任の保健師さんも、まぁ、忘れているんだろうねというところで落ち着いたのだが、この、忘れ方が普通の忘れ方ではない。

 意識しなくても嘘を付く人間なので、忘れ方にしても、その“無意識”というものが絡んでくる。これは私の表現で他人の理解が得られそうだし、また、書かなければならないと思う。

 やっぱり、他人に、その人が体験していないことを実感してもらうことが、文学者・瓜ヶ谷文彦としての任なのだろうなと思う。なんか小説も書けそうな気もするが、そこまでの才能がないことを自覚しなくては。

 他人が体験したことがないといえば、たまぁに私も解離を起こすことがある。しかし、それで人を殺しても不思議はないという状況にはならない。自傷他害は強制入院となるので、そうなったら解離性障害の患者は、全員、社会に出てはいけないことになる。

 解離を殺人の理由としようとは誰が考えたのか。障害者は助けてもらう存在なので謙虚であるべきだと思うし、少なくとも、自分は、そうあるよう努める。なので私は、精神障害というものを舐め腐って使う人間が大嫌いだ