身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

自分の不甲斐なさに落ち込む。

 もう、何回、同じことを繰り返し悩んでいるのだろうと思う。ここ数日、あまりにも自分のヒューマンダストっぷりに失望している。駄目な自分も愛おしく思えれば、そういう自分を良くしようと思って努力するはずだと、以前、書いた。

 しかし、昨晩も床に就いてからスマートフォンでショッピングサイトを見ていたら、ポイントアップキャンペーンをしていたので、また買い物をしてしまった。そして、今日は、起きてから辛くなって再び寝てしまった。私は起きられなくなるまで夜更かしをして何をしているのだろうと思う。

 幸い、昼間には頭がスッキリしたのだが、机に向かっても何も書けない。どうしても昔の嫌な記憶と紐づけて考えてしまうようで、かつて、猛勉強をしていたのに、勉強など嫌いなものに決まっているから机に向かってボーッとしているに決まっていると言われ、全優の成績で卒業して大学に合格したのに行かせてもらえなかったことを思い出す。

 そうなると、自分のことなど愛せない。買った物が届き、家の中を見ると荷物で溢れ汚部屋になっている。これは、いつ死んでもいいように家を綺麗にしているのだろうなどと言い、物を買うことを盛んに勧めて居座った変な女に起因している。それで数百万円あった貯金はゼロになった。

 そういう、書くべきことが沢山あるのに、本当、机に向かっても何も書けないのだ。これも、また、インフルエンザで38℃の熱を出して寝込んでいても、好きで進学したのに、学校に行きたいという気持ちは、その程度かと折檻されたことを思い出す。

 悪循環だ。駄目な自分を愛そうなんて綺麗事じゃないの? と自分で思う。自分だけではなく、最近、せっかく私が読んでもらいたいと思っている文章を、しっかり読んでくれる読者が増えたのに、その人たちをも裏切っている。

 これも繰り返しになるが、自己嫌悪したところで、嫌悪する対象は他人ではない。自分とは、嫌でも、一生、付き合わなければならない。人生を投げて酒などに走ってしまうのは簡単なことだ。せめて今日は、それをしなことだけは死守しようと思う。

 実は、先週の木曜日、私は日記を付けるのを忘れた。おそらく日記を付け始めて20年くらい経つと思うが(古い日記帳はスーツケースに入れて部屋の奥にしまってしまったので、いつから書いているのか判らない)初めてのことだ。旅先にも日記帳を持っていたし、父が死んだ日も付けていた。しかし日記を付け忘れた日も、このBlogのエントリーだけはアップしている。

 以前にも書いたが、私には友達がいない。親族も、キチガイと呼ばれる母と、その弟の、ならず者の叔父だけだ。生まれて孤独感を感じなかった時間は一瞬たりともなかった気がする。なので、せめて、誠実なものを書いて、このBlogの読者は大切にしたいと思っている。

 読者を裏切らないように心掛け、きちっとしたものを書けるよう努力をします。なので、今後とも、見捨てずに、このBlogをお読みいただけたら幸いです。

 

 

P.S. 久しぶりにTwitterをチェックしていたら、昔「いいね」をしたツィートがあったので、私のツィートではないのですがTwitter貼り付け機能を使ったことがないから試しに貼ってみます。色々と整理していて、「いいね」を外してしまって慌てて付け直したりしているので、タイムラインの上に上がってきてしまうこともあるかともいますが、ご容赦ください。