身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

私なんか、死んじゃえ!

 過激なタイトルだが私の言葉ではない。「週刊朝日」2002年10月11日号に表玲子さんという方が発表した『心の迷路 境界性人格障害を越えて』という手記の冒頭タイトルだ(前編と後編があるのだが後編は読んでいない)。

 昨日からの体調不良が、まだ回復しない。肉体的に苦しいうえに、それで動けない自分を責めてしまう。自分はヒューマンダストだという気持ちに押し潰されそうになる。そんな自分なんか死ねばいいのにと思う。なんとかいって自分で自分を愛せていない。

 主治医に電話をするが捕まらない。役所が休みなので頼りにしている前任の保健師さんもいない。そして、電話をするときの心境を考えると、自分ではない誰かに、今の自分を肯定して欲しいのだと思う。仕方がないと言って欲しいのだと思う。自分の人生は自分の物だけど、誰かに擁護されたいという気持ちが大きいのだと思う。

 親は、私に、ネグレクトに近いことをして、受け入れてくれなかったどころか責め続けた。実際、私は(未遂に終わったけど)自殺にまで追い込まれた。私が被告人としてかけられた裁判に親は情状酌量のための証人として出廷したが、裁判官に、子供が自殺しようとするまで追い込まれていたことを、どう思うのかと言われてヘラヘラと笑った。

 一昨日、書いたことと重なる、というか、一昨日、書いたから思い起こされるのかもしれないが、さるブロガーという人物が、そんな私のことをオレオレ君と言っているそうである。1回した会ったことがないのに、その人のことを断言してしまう凄さ。一昨日のエントリーでYouTuberの努力を書いたが、その人物は、地道にBlogなんて書いていないそうである。

 私が若いころ、霊感商法なるものが流行った。あなたに霊が憑いているなどといって高価な印鑑や壺を買わせるというものだ。そのブロガーなる人物も、そうやってズバズバ人を断定しては、原因を教えるといって高価なセミナーに参加させているらしい。“学び”や“気づき”という言葉を私が胡散臭く感じるのは、それらの言葉が印鑑や壺のように扱われているからかもしれない。

 箔付けのためにBlogを運営して「Blogで成功した」と言っているようである。虎の威を借りるように有名人を呼んでイベントを開き、それらの人たちと自分を同列に並べて自分自身も悦に入って、“ブランディング”といって自分の人生を嘘で固めているらしい。「5ちゃんねる」に糾弾するスレなるものが立っていて、化けの皮が剝がれて今年中に破産する見込みだという(あの程度のBlogでも成功できるのかと親近感を持たせているという鋭い指摘もあった)。

 普段なら、そんなことを思う自分に自己嫌悪しそうだが、ざまぁ見ろと思っている自分がいる。今日の私は、色々と不健全だ。先日、主治医に、よく両親を惨殺しませんでしたねと言われたことも書いたが、おそらく、こういう気持ちが昂じたときに、そういう事件を起こすのだと思う。