身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

怠惰に過ごすのも苦しい。

 昨日の夜、眠剤を服んでから寝床でスマートフォンを使ってネットを見ていて、メルカリでポチッてしまった。メルカリは、安く出ているものがあると、迷っている間にすぐに売れる。今回は、そんなお得な買い物ではなかったが、その3倍の値段で買ったのに! ということもしばしばだ。かくいう私も、この前、皆が6,000円で出しているものを2,000円で出して瞬時に売れた。しかも私が持った送料が500円だったので馬鹿みたいな話である。

 そもそも、自分の価値観と市場の価値が大きく異なるのかもしれない。使わなくなった機械式腕時計も5,000円で出して瞬時に売れたのだが、これに関しては未だに世間では幾らか調べる気もしない。私は機械式の時計は好きではないので、10万円の精密な機械式腕時計が1万円になっても買わないだろう。欲しいものには興味を示すのに、要らないものには全く関心がない。

 そして、今朝は午前11時に宅配便が来るまで起きられなかった。起きられなかった自分を責める。そして、昨晩、金を使ったことに対して冷や汗をかく。これも保健師さんを始めとする区の職員の方に話すと、ちゃんと吟味して判断して買っているから大丈夫ですよと言われる。昨日、メルカリで買ったものも2,000円なのだが、時給1,000円の仕事を2時間しろと言われて、果たして自分にできるのかという変なことを考えて不安になる(20年前に時給3,200円の仕事をしていたのに)。

 SNSでチラッと書いたが、前々回、私の主治医に、あなたのような人をサバイバーというんですよと言われて、ネットで調べてみた。単純に、虐待を生き抜いた人という一般的な言葉だと思っていたのだが、精神医学的に、そういう言葉があるらしい。これもSNSで書いたが、その言葉を日本に紹介した医師が私を診察拒否した医師なので、ちょっと気に食わない。

 親に相談できなかったので1人で決める癖がある、次の瞬間に親がどういう行動を取るのか判らないので急いで決める癖があると書いてあり、何を当たり前なという気がする。その対策として、過去の紐解きが必要などと書いてあって、これも、そりゃ根本的原因を解決(理由付け)しなくてはならないだろうと、至極当たり前のことのように感じる。

 そして、今日は冷静に過去を見詰められそうなのだが、そんなこんなで疲れが出てしまったのか力が入らない。叔父に耐えられなくなって飲んだ正月1日と付き合い1日をを除くと昨年11月8日以来、1滴も飲んでいないが、今日は飲もうかと思う。このBlogを初期のころからお読みになっている方は御存じかと思うが、私は酒を飲むことに抵抗があり、飲む飲まないに関しての葛藤が多い。よほど理由がない限り飲むのを止めようと思っているので、いまだに躊躇している。

 

スーパーで20%引きだった…。

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