身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

健康のために金をケチっては元も子もない。

 今朝になっても起きられない。風邪だと思うが熱はない。風邪を引いてから自分がしていることが正しいという実感が持てない。むしろ不安だ。

 昨日から、東京タワーの写真を整理しているのだが(URLも変更したのでしばらくアクセスに不都合が生じるかも)今日になって整理後のデータを見てもグタグタで、整理になっていない。

 前々から欲しいと思っていたカメラがネットのオークションに出ていて、その終了が昨晩だったのだが、当初の希望価格を超えたので、1,000円、上積みしてしまった。

  この判断が正しいのかどうか、いまだに迷っている。ディスコン品で中古でしか手に入らないのだが、そもそも、そこまでして欲しいものだったのか。

 私は、自分が欲しいものを買った、あるいは買ってもらった記憶がない。ファミコン世代なのだが、ファミコンどころか漫画本1冊、買ったことがない。

 子供だから貯まったお年玉があるはずだが、それも、親が勝手にステレオを買ってしまった。そして、私が欲しがるので買ったというのだが、私には、指1本、触れさせない。

 また、私の親は説明書を読んだりすることが大嫌いなので、結局、軽自動車1台分くらいの価格のステレオは、親が私にレコードを数枚かけさせただけで捨てられた。

 子供のときから、私は、金を使うことに非常な罪悪感を感じる。

 エアコンなど贅沢だといって夏は40℃を越える自室に監禁された。独り暮らしを始め自分で金を稼ぐようになっても、月に1回、300円の牛丼を食べるだけで贅沢だと詰られた。

 以前も書いたが、肺炎で病院にかかったときのこと。医者はインフルエンザを疑い検査をしたが陰性だった。そうしたら親に無駄金を使ったと汚い言葉で罵られた。

 結局はマイコプラズマ肺炎だったのだが、入院費は後から払ってやるから自分のクレジットカードで払っておけと言われて建て替えたのだが払われなかった。

 病院なので、そのまま分割払いにすれば金利など付かなかったと思うが、クレジットカーで決済をしてしまったのでリボ払いにするしか方策がなく、しかも貧しかったので返済は3年に及んだ。元本の1.5倍くらい払ったのではないか。

 私が被告人として出廷した刑事裁判に、父は私の情状酌量のための証人として出廷した。そこで、もっと借金して苦しめばいいなどと言い、再犯防止にならないと情状酌量どころか逆効果になった。

 なので、医療費を払うことさえ非常な罪悪感を持っている。空調に金をかけることなど、なおさらだ。好きな物をオークションのようなギャンブル性のあるところで買うなど、もっての外だ。

 しかし、数年前、セーターが破れたか何かで、その出費をしていいとは自分では決断できず、病院にかかるリスクや費用対効果を考えて非常に苦しんでいた。

 それを、担当の保健師さんに相談したら、そんなことで健康を害しては元も子もないですよと、あっさり言われた。

 そして、他人に言われたことなので実感という言葉が適切なのか知らないが、健康が「元」なんだと初めて実感した。

 実感という言葉、といえば、さいきん流行っている「学び」「気づき」という言葉が私は嫌いだ。

 本当に学びたい気持ちがあるのならそれは愉楽だし、他人に指摘されるのなら気づきとは言わないだろう。意欲があれば、何からでも自然に学べるし気が付ける。何だろう、この「やらされている」感は。そもそも「学習」や「発見」という言葉じゃマズいのか。

 かくして私は、自分で学びも気づきもしなかったけど、保健師さんの一言で金をケチって健康を害することは無駄なことなのだと悟った。

 これからは躊躇せずに暖房を付け、光熱費を気にせず部屋を暖かくして過ごそうと思う。

 

 

 

今週のお題「冬の体調管理」