身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

フラッシュバックの存在を信じた夜。

 今日は午前7時は起きているのだが、顔と歯は洗ったものの、1日中、寝間着のままだ。別にどこが悪いわけではないのだが、寝ている間に昔の嫌なことを思い出して疲れてしまったのだ。

 久しぶりに頭が冴えているときに限って… と思ったが、考えてみれば、苦しいときに感覚を麻痺させるために安定剤を服んでいたのだから、どっちを取るかだ。ある作家の随筆に、デパスだったかな? を服むと書けなくなると躊躇する作品があった。

 さて、以前、私はトラウマというものを信じていなかったと書いたが、やはり、フラッシュバックというものの存在を信じていなかった。それが、である。昨日、TVドラマ「スキャンダル専門弁護士 QUEEN」の録画を観たときのこと。

 エンタメ作品なので心の準備ができていなかったということがある。上司に呼び出されて何時間も正座させられた… という台詞で、私は過剰に反応してしまった。高校時代のことを思い出したからだ。

 

 私は、親が選んだ茨城県の新興進学校に特待生として入学した。学校の威信にかけて東大に入れて見せます! と言われた母が新興宗教に引っ掛かったようになってしまったのだが、私も、まぁ特待生なのだから特別な待遇が受けられるのだろうと思った。

 地元の同級生に軽くイジられて、私も笑っていたのだが、いつも、それが終わると東京の人だと思って虐めてゴメンと言われ、いや、当人が虐められた気がしないからイジメじゃないよと言っていたものだ。おい茨城県民、都道府県魅力度ランキングの最下位に甘んじているだろう(笑)。

 さて、そのように生徒は大人しい人ばかりだったのだが、問題は学校自体にあった。よく覚えていないが、社会に出てから、登校時に女子生徒はスカートの裏まで調べられるって本当ですかと訊かれて、そんなことがあったなぁと思う。

 そもそも制服が、たとえばダブルのブレザーに千鳥格子のズボン・太いエンジのネクタイ(しかも、さらに太く締めなくてはいけない)・校章入りの鞄など、わざとダサく作られていて、教師に、どうしてこんな制服にしたのかと訊くと、もともとワルの学校だったから、一目で、うちの生徒だと判るようにするためと言われた。まぁ私の在籍中にも放火が後を絶たなかったものな。

 その高校で、私は、教師のイジメに遭った。教科は忘れたが役職は学年主任だった。教室に入って私の眼を見るなり、テメェ気に食わねぇんだよ! といって廊下に正座をさせられた。そして、次の時間に教室に戻ると、なんで戻れって言わないのに教室にいるんだと正座ケイゾク。昼食時以外1日6時間正座。

 その教師に嫌われたおかげで修学旅行にも連れて行ってもらえなかったのだが、海外旅行という鳴り物入りでカナダに行ったのに、自由時間が全くなく、食事も大陸横断鉄道の車内での日本で食べるような弁当だったとのこと。しかも、炭酸飲料を飲んだだけで、腹を壊すものを飲んだと旅先でも正座させられた生徒がいたそうで、私だったら何をされるか判らないし行かなくて良かったと同級生に言われた。

 考えてみれば、彼らが修学旅行に行った数日間が、私にとって、もっとも自由な高校時代だった気がする。

 学校では、さらに放課後の自習時間が4時間あり、学校は、さらに4時間、家で机に向かわせることを親に要請した(古いことなので具体的な時間は違うかもしれないが、1日の机に向かう時間がトータルで14時間なのは確か)。そして、以前も書いたが、私の親は夏は40℃を越える部屋に私を幽閉。机に向かえと言われても学校で何も教わっていないので復習もできないし、判らないから予習もできない。予備校も禁止。それでも学校に対して妄信的になっている親は、それを止めない。

 その後、その学年主任は校長になり、複数の教員に対しても同じように理由もなく即日クビを言い渡して裁判沙汰になり有罪となり更迭されたそうである。しかし教員に対してやったことは明るみに出ても生徒にやったことは明るみにならないんだなと思った。

 

 かつて、同じようにTVドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」を観たときに、家族だからといって息子を追い詰める父親に既視感を覚えたというようなことを書いたが、そのときは社会的なテーマなので身構えていたけど、今回は、本当に不測のことだった。しかも再現映像(ドラマなので劇中劇なのだが)などなく言葉で出てきただけだ。

 自分のトラウマが掘り起こされて(という表現がピッタリだと思う)初めて、トラウマというものの実在を知った。やはり普通の人が使うような嫌な思い出という意味とは違うものだったが、存在自体も信じなかったことを反省した。

 また少し本題から逸れるが、かつて苦痛が酷かったときに某インターネットの相談サイトで相談した。その回答者の中に、精神を病んだことも死んだほうがマシと思ったことがないという人がいて、それでも、茶化すどころか想像力を駆使して回答してくれた。自分には、そういう相手を思い想像する“謙虚さ”が足りないと自覚した。

 さて、トラウマと同じで、最近になり、今日のことを含めて、これがフラッシュバックなのか… と思うことが多々ある。それを抱えていない人でも、夜中に嫌な夢を見てガバッと目が覚めることがあると思う。ベクトルが向く方向としては、それに近い。映像や音が蘇るなんてウソウソ! それも体験して初めて判ることである。

 ともかく、昨晩、TVドラマを観た後に寝たらフラッシュバックに襲われたのだ。そして起きたらヘトヘトだ。恐怖で疲れるということも想像が付かないという方がいるかもしれないが、これも怖い思いをした後に気絶したように意識を失うことと似ていると思う。

 昨日のエントリーともいえないエントリーでも、起きて書かなければならないのに安定剤でダルくて起きられないのは、通勤・通学しなくてはならないのに高熱を出して動けないようなものだと書いた。トラウマや今日のフラッシュバックにいついてもそうだが、これらの表現が的を得たものだとはいえないかもしれない。

 しかし、私の場合、実感に基づいたことを自分なりに表現していくしかないのだと思う。思ったことを、より全容に近く正確に書いていくことが、私にとっての課題だ。そして、それを読んだ人に、私が、どんな思いで過ごしているのか、より正確に伝わればいいなと思う。