身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

外見より中身、その中身とは?

 人に捕まって夕食を摂っていたので書き直しです。写真の通り、渋谷でてんてこ舞いしていました。写真ブレブレ。
 少し気分が上がって帰ってきたら我が東京都港区観光協会兼高かおる氏の訃報が入ってきて、良く判らない気分です。

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 体調が戻ったというか、少し無理をして戻したので、軽い物を書こうと思う。今日は近所の総合病院に健診の結果を聞きに行く予定だったので、ヘロヘロになるからと体調が悪くても頓服の精神安定剤を服まなかったら、何とか目は覚めた感じだ。目眩はするけれど。あと大検査になった項目があって厄介。

 そして、渋谷に買い物に行き、帰りに友人に捕まって食事。久しぶりに歩いたし病院で疲れているからと早めに切り上げてきたのだが、それでも、この時間である。まぁ、酒を飲まない人で良かった。という訳で、数日ぶりにスマートフォンではなくPCで書いている。

 

 さて、今日は災害と天使を同じ日に目にした。最初に見たのは災害である。これは、なかば私が2次災害の被災者だ。

 朝のコンビニでのことである。私はコーヒーマシンの前でコーヒーを淹れていた。そうしたら、レジ待ちをしている女性が、自分目の前で、お年寄りが手袋を落としたのを目にしても知らんぷりをしている。

 私が50mほど追いかけて手袋を渡し、再びコンビニに戻っても平気の平左。容姿は整っていて、しかも世間では「可愛い」と評される部類の外見である。ブリッ子しやがって… と、そういうことも腹に立つ。

 それでも、忙しいので、あまり気に留めずに家を出て病院へ。そこで、私は後から女性に追い掛けられ声を掛けられた。一瞬、何か判らなかったが、手袋を見せて落としましたよと言う。残念ながら私のものではなかったが、持ち主も無事に見付かった。

 張本人だから感激が少ないのか、私のような声を掛けにくい風貌の人間に声を掛けてくれただけで凄いなと思う。私の風貌を客観視できる第三者から見ると、もっと凄いのではないか。

 また、昨年末に実家に行く電車の中でのことだ。立っていた女子高生が目の前の座席が空いたのだが座ることに躊躇している。しかし、私も座っていたし、電車が比較的、空いていたせいか、誰も座る人はいない。

 結局、その女子高生が座ったのだが、座ってからも、怯えているのではないかと思うほど周囲をキョロキョロしている。そして、仕事帰りの人が電車に乗ってくるなり、パッと席を譲った。私と同じ駅で降りたから印象に残っているのかもしれないが、特に目立った容姿ではなかった。

 私は専門学校時代、身長は180㎝で体重は60㎏で股下は85㎝だし、成績は準主席だし、高級住宅街(住宅「街」であって私の家が高級住宅なのではない)から自転車で颯爽と通学してくるし、まぁ、モテる方だった。

 社会に出て、学校の先輩に「嫌でもモテたでしょう」と同情まじりで言われた。本当に、そういう外見だけで物を見る異性は嫌だった。この時代だったら、大袈裟にいえば軽いセクハラの一種といえなくもないかもしれない(大袈裟にいっても軽いって、どれだけ微々たるものなんだよ!)。

 私にとって、そういうことで寄ってくる女性というのは、若くて派手な容姿の女の子をチヤホヤするオヤジのようなものである。私も、おそらく女性がスケベオヤジを見るような目で私は彼女たちを見ていたのではないか。

 自分が、そういう目で見られていたからというのが大きいのだと思う、ルックスというかアペアランスというものに嫌悪までは抱かないまでも、そういう要因は排除して見るようになった。

 別に、容姿を綺麗にすることを否定はしないし、どちらかというと肯定的である。なんだかんだいって容姿端麗だったころの自分が好きだし、なので派手な格好をしているから痴漢をしていいという理由にはならないという女性の言い分も判る気がする。

 私はダイエットに勤しむし(容姿よりも健康のためだろうという言葉が…)清潔にして身だしなみは整えるが、それを異性を誘惑するためといわれると違うなと思う。

 容姿には天賦の要素というものが多分に影響する。それも善し悪しである。例えば今はハーフタレントが持てはやされているが、彼らが子供のときはガイジン・ガイジンと虐められたかもしれない。

 「赤毛のアン」がハッピーエンディングなように、生まれながらの造作は、どうでもいいというのは、ある意味、広くあまねく最終的に行きつくところなのかもしれない。

 同時に、容姿に自信を持てという言葉も使われる。そうなると、この場合の容姿は、後から自分で作ったものだろう。冒頭で挙げた“可愛い容姿”などというのも、その一例だろう。可愛いは作れるそうだから。

 可愛い容姿に自信を持てるように、性格も可愛くあるべきだ、などと三段論法みたいなことは書かない。そんなものを飛び越えて、純粋に、親切な人は可愛くて天使のようだと思うし、不親切な人は災難を与えるようで可愛いくないと思う。そして、どうせなら親切でありたいと思う。

 

… 書きなすのに時間が掛かったな。💦