身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

運転の慣れと習熟。

 昨晩から実家にいる。寒くて言葉が出てこない。ごめんなさい。


 以前、実家に来たときにWindows 10 October 2018 Upadateのことを書いたがインストールメディアからのインストールを行なったのに、進捗が1%で止まったまま。

 インストールメディアからのインストールというのは、主ストレージにインストーラーを入れるスペースがないという発想からだったのだが、どこか、まだ足りないのか。

 インストールメディアを、もう少し大きなUSBメモリーに入れ替えてみたら、副ストレージを必要としなかった。しかし数時間かかっても進捗は1%で、上手くいっていなかったのかな? と思い中断すると、中断処理は上手くいく。

 放ったまま寝たら今朝には終わっていて(夜中トイレに立った時に見たら25%だった)結局、昨日は家を出る前にBlogのエントリーを書いておいて正解だった。

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 さて、今日、私は、車に轢かれそうになった。道路を横断しようと思って車が途切れるのを待っていたら、車が止まってくれたので道路を横断しようとした。

 そうしたら、その止まった車を反対車線にはみ出してまで追い越そうとする車がいて、危うく、それに跳ねられそうになった。

 過去に過失割合ゼロなのに轢かれたことがあるから、私も、なかなか用心深くなっているが、そうでない人だったら、どうなのか。

 前の車が止まっていたら、何かあるなと思うのが普通でないのか。そういう話を友人にしたら、それは東京に住んでいるからだよ… と言われた。

 だって、停車中の車の後ろで止まっていたら、そんなの追い越したくなるじゃん? と言われて、私の方が、えぇと思った。

 停止車両の後ろで止まっていたとしても、それは、対向車線にはみ出せない事情があるから止まっているのではないか。

 そんなの東京みたいに車がたくさん走っているところに住んでいるからですよ、普通、対向車が来るなんて思ってもいませんと言う。

 それは、重ねて、えぇ! である。対向車が来ないと思うということは、逆に、それだけ、来たときは速度が出ているということではないか。

 ですから、来ないという前提で… うん、確かに東京とは前提が違う。ここも、そんな田舎道でもないが。

 先日、私は運転免許証の更新に行った。そのとき、警視庁管内での交通事故による死亡者数は、ひょっとして今年は統計を取り始めて最も少なくなるのではないかと講習で言われた。

 その理由は、よく判らないらしい。なので、ここからは私に予想である。いわゆる若者の自動車離れが、良い方向に向いているのではないか。

 老人のアクセルとブレーキの踏み間違えというのは論外として、いわゆる「無茶な運転をする若者」の減少が、運転補助機能の進化とともに原因にあるのではないか。

 私は、あまり運転をすることはないが、ごくたまにはする。ちなみにAT車限定免許ではないがマニュアル車は乗らない。少し練習すれば乗れるのだろうが。

 それで思うのが、見なければいけないところを押さえるようになったなということだ。先ほどの話だと、前の車が止まっているから、何かあるだろうと普通に考える。

 自動車事故を起こさない心の持ち方として、どーせ停止車両があるから、ではなく、これは、対向車線にはみ出さない理由があるのだなと、その理由を考えることができる、それが長年、運転していて、経験を積むことではないか。

 長い間、運転していると、慣れで事故を起こすようになるというより成熟して事故を起こさなくなる、そういう風に運転技術を積み上げていきたいと思った。

 

… 済みません、この部屋、暖房がないもので、急いでほかの部屋に行きます。