身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

死ぬに死ねない。

 今日は、いつになく起きるのが楽だった。楽だったといっても3時間しか眠れず、寝不足の感は否めない。

 それでも、普通の社会人は、朝には起きて会社に行っているのだからと、無理して起き、机に向かう。

 しかし、書けないのだ。あれだけ、書くべきことがあると思っていたのに、ぽっかりと穴が開いた感じだ。

 そして、生きる意味というのは何なんだろうと思う。充実した毎日だろうか。私の父は定年には仕事を辞めて、月に1回は旅行に行っていた。

 かたや私は虐待同様のことをされて大学にも行かせてもらえず、今でも苦しい毎日を送っている。

 そしてまた、“自分にとって”生きる意味というのは何だろうと思う。3日前のエントリーに書いたが、それは、自分の生が無に帰さないようにすることだ。

 それが、楽になった途端に書けない。このままでは自分の人生が無になってしまう。

 苦痛があったら苦痛があったで生きるのが辛く、楽になった楽になったで、生きるのが辛い。

 ふと、目の前に死の淵が見える。それは甘美な世界に見える。

 私は、ずっと、自分が死んだら家族が悲しむから死ねないといういう人たちを見て、大丈夫、家族は、そんなに悲しまないから、と思っていた。

 それは、単に、私には自分が死んだら悲しむ家族がいないだけなのだ。

 私が自殺未遂をしたのは、この世に私を繋ぎ止める友人や家族というものがいなかったのだ。

 しかし、今は違う。一昨日、書いた、越権行為を自覚までして私の面倒を見てくれようとした保健師さん。家族なんて、どーでもいーけど、それらの人のことを考えると、死ぬのは申し訳なく思う。

 私も、生きていれば、他者に対しての、そのような人になれるだろうか。