今朝も午前9時過ぎまで起きられず、そんな自分に絶望している。もっと寝たくて起きられないとか怠惰に過ごしたいという気持ちとの格闘でなく、抵抗できること以外の要因で起きれないというのは、なかなかの苦痛である。
さて、ここからは、今まで書いてきたことと、かなりダブるが、そんなとき、私は、文学作品に頼る。他者が自分の気持ちを言葉にしてくれたとき、自分の苦痛を代弁してくれたように思え、ものすごく私はホッとする。
私にとって生きていて一番怖いことは、他人に理解されないことだ。以前も書いたが、私の住むマンションの自治会長は、1日中、玄関の前に立っていて、私を捕まえ、家でゴロゴロしているんだろうと言って文字通りヒヒヒッと笑う。そして、苦しくて料理ができずコンビニで弁当を買うと、横着で料理もしないんだろうと言う。もし、私が、それで追い詰められて凶悪犯罪を犯したとき、彼は家でゴロゴロしていたと証言されたら死ぬに死ねないと思う。
そして私は、文学作品の作者は私を理解してくれていると思うと、少しはホッとする。また、それらの作者と同様に、自分の体験も、他者に伝えたいと思う。読むこと、そして書くことは、理解されない怖さに対する、私の取れる唯一の手段なのだ。