身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

不調。

 今朝も、なかなか起きられない。鬱なのかなと思うが、電話をした人たちには、鬱っぽいものは感じられないと言われる。先週の通院のときも、主治医に不調を訴えたが、いい感じだと思いますよと言われた。

 銀行から残高証明書が続々と届いている。きちんと仕舞ったのに、見当たらなくて、捨ててしまったのではないかとゴミ置き場まで見に行ってしまった。結果、ちゃんとファイルしてあったのだが。

 残高証明書の数字が、単なる数列に見える。金額だという実感が沸かない。鬱で仕事を辞めたときのことが思い出される。ずっと貿易の仕事をしていたわけだが、だいたい、最初に出るサインは数字を間違えることだ。

 そして、また、何が楽しくて生きているのだろうと思う。こんな数字を増やすために仕事をして、何が楽しいのかと。そして、そんなものを増やしたり、肩書を得ることに、私は意義が見出せない。

 しかし、それらの物がなければ、好きなものを買ったり好きな場所に行けないことも事実だ。そうすると、逆説的に、1,000円の利益を上げるために1時間も働くことが非常に大変なことに思える。それすらできない自分がいる。

 かつて、社会主義に対するアンチテーゼ的に始まった資本主義も、価値観の画一化で、また社会主義のような世界になってきている。皆、同じ車を買い(というかシェアする時代になっている)同じ場所に家を持って、そうすると自分の楽しみというのは何なのだと思う。