身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

常識の延長線上。

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 区内では東京タワーは三田3丁目交差点からの眺めが最も美しといわれていた。ちょっと、そこからでは遠いので慶應義塾東門の方へ。三田国際ビル(左奥の高い建物)は私が子供のときからあったけど、それでも東京タワーは“ふもと”まで見えていた気がする。

 さて、今日のタイトルは珍しく私の言葉ではない。もう、考えることも放り出したいが、何かしていなくてはいられない。しかし、ただ机に向かっていれば仕事や勉強ができるわけではないのが口惜しい。

 さて、今日は通院だった。例によって予約は午後4時半なのだが、午前10時半が空いているというので、そこに入れてもらったのだが、1時間待ち。どうして、完全予約制で1時間も待つのか…。しかも、あとには初診の患者さんもいたから、その人は、さぞかしウンザリしただろう。

 今日は、普段、あまり書かない診察の内容について書く。なんとなく自分の気持ちが未消化のまま終わってしまった感じがするので、ここで、気持ちの整理が付けばいいなと思う。そして、その、物の捉え方が、読者個人の参考になればいい。

 今日は、主訴として、2つほど(2つあったら「主」じゃねぇだろという指摘は置いておく)持っていった。ひとつは、父親とのこと、もうひとつは、昨日までの異様な疲れだ。

 父が、こういう話をしたので、私が、こういう返事を返したら、そんなことは訊いていないと言われた。父が何を予期しているのか私には理解できないという話をした。そうしたら、相性が悪いのではないかと言われた。自分にも患者さんが訴えたいことを把握できなことがあるという。

 それは身体を扱う医者もそうで、手術のとき、メスが切れるベテラン外科医が、どうも、この患者だと巧くいかなということがあるという。点滴の針が通らないという非常に単純なことを、なって1年目だった麻酔科医の自分に振られたのだが、難なくできてしまったという。

 ふと、このBlogに何度か登場している弁護士の友人の話を思い出した。最近、依頼人が何を考えているのか判らないことがあり、相談だけで終わらせてもらって依頼はして欲しくないと思うという話をしていた。

 その友人は、ごくごく真面目な常識人である。まぁ、非常識人では法職には就けないだろうが。なので、自分が理解できないこと=常識では測れないこと、である。

 さて、もうひとつの私の主訴は、物を盗ってしまいそうになってしまうということだ。前回の診察で、主治医は、自分には理解できない、理解できたときには伝えて欲しいと言っていた。

 そこで、私は、この1週間、本を読んだりして考えた挙句、捨て鉢とか投げやりとか、そういうものではないですかね? と言った。そうしたら、即座に否定された。そこで出てきたのが「常識の延長線上」という言葉だ。

 投げやりや捨て鉢というのなら、ここを出ていった途端に、ひったくりなどをしてしまうはずだが、そうではない、そういう“常識の延長線上”では考えられないことが原因だと言う。

 そして、それをしたら、どうなるかという想像力の欠如ではないかと言う。物を盗ったら今度は実刑ということが判っているのに、その状態が想像できていないのではないかという。普通だったら、躓(つまず)くと判っていたら、その道は行かないでしょうと言う。

 しかし、何か、自分では、あえて躓きに行っているような気もする。今日は、主治医は、何かソワソワしていて、すでに席を立って診察室内をウロウロしている。そして、そういうところに発達障害の片鱗を見ているんだけどねと言って、そのまま診察が終わりになった。

 前任の主治医に、店の人は物を売ることで生計を立てているという小学生でも解る常識がないと言われたと言ったら、そういう、どうしようもないのは… と否定されたけど、なんか、煮え切らない診察だった。

 さて、本気を出して勉強しよう、といっても、今日は残り数時間だけど。闇雲に何かやるのは努力ではないことは判っているが、しかし、頭を空っぽにして、まっさらな頭で何か考えようと思うのだけど、ジッとしておれない。

 

 P.S. Internet Exproler を使うのを止めてから、Google Chrome と Microsft Edge の両方を使っている。しかし、この「はてなブログ」の編集画面でコピペをすると、書式付きでペーストされてしまう。画面の下の方で早い打鍵だと変換が追い付いてこないのはInternet Explorer譲りだし。見たら、すでにフィードバックが上がっているのだから、早く対処して欲しい。

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