身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

努力を否定されること。

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 角川書店の「近代文学鑑賞講座5 夏目漱石」(昭和33年8月5日発行)を読んでいる。編者は伊藤整漱石が「余裕派」と呼ばれるのは学校で習ったが、その理由を知らなかった。大学だと習うのかもしれないけど私は学校教育法上は中卒だからさ。

 そういえば社会人として大学の通信教育部に入ったことがあるのだが、勉強していたら、大学なんて適当にノートを借りて単位さえ取ればいいんだと言われたことがある。その人物は、早稲田大法学部卒の教養人と自ら言っているのだが、言っていて恥ずかしくないのかね。

  さて、その「余裕派」の語源について、冒頭の「夏目漱石の人と作品」で、さっそく出てきた。

 漱石の作品は痛烈な真実を述べない「拵へもの」であり、作品において自己を暴露しない、というのが、漱石に対して自然主義者たちの加えた非難の中心点であった。(9ページ)

 

しかし漱石が主としてその小説方法を学んだイギリスにおいては、文学者というものは、一応紳士なのであって、あからさまに自己の私業私行を作品に盛ることは、原則として行われない。(10ページ)

 

『猫』や『坊つちゃん』の諷刺による人間批評がいかに切実であっても、それは当時の社会では余裕ある人間の口達者な「遊び」でとしか受け取られなかった。漱石は一般文学者から「余裕派」と呼ばれ、自らもそう称していた。(13ページ)

 

 「拵」がIMEパッドでは出てこなくて辞書を引いた(笑)。拵へもので「こしらえもの」と読むそうだ。

 例によって私流の捉え方だと、こっちはプライバシーまで削って作品を書いているのに、フィクションなんてやっている奴は余裕こいてるから「余裕派」だよって感じだろうか。そんなこと、余裕派という名前と一緒に教えてほしい。

 英文学と夏目漱石といえば慶應大学巽孝之教授の講義を聴いたことがあるのだが、今回は触れない。これだけ書いておくと、途中、わざと講師に聞こえるように椅子を蹴っ飛ばして出て行った学生がいた。

 そして漱石が自ら「余裕派」と称していたというので思い出すのが、写真家の木村伊兵衛だ。彼も土門拳と比べて「旦那芸」と称され、自らも、それを認めていたとか。これらの人のことを聞いて凄いなぁと思う。

 

 さて、私は、今朝は9時半まで起きられなかった。午前7時に目が覚めたものの、どうしても体が動かないのだ。昼も寝落ちして予定通り勉強できなかった。今でも耳鳴りがする。このエントリーもボロボロな状態で書いている。

 一昨日の大宮日進町に行って渋谷で飲んだときの身体の疲れや肝臓疲労は取れているはずだ。そして、起きられないことが、ものすごく辛かった。肉体の努力で何とかなるのなら吐血してもいいと思うほど、精神的に辛かった。

 もう何度も書いてるが、心臓が針の筵の上で転がされている感じがして起きられなかったとき、当時の主治医にゴロゴロしたいための言い訳と言われたこと。そして、朝、起きたら食事をして顔を洗うことと口を酸っぱくして言われたこと。

 そこには、私が、怠惰に過ごしたいと思っているという「決め付け」があり、それが、今でも許せないのだ。実際、今の主治医になって、朝、なかなか起きられなかったものの、普通に顔と歯を洗って着替えて朝食を摂ってニュースに目を通している。

 風呂に入れなかったということもそうだ。水恐怖症というのとは違うのだが、どうしても入れない。それも、社会人は次の日のことがあるから億劫でも風呂に入るんです。気が狂うように物を盗ってしまったときも、店の人は物を売った売り上げで食べてるんです。解ってるよ。

 私は怠け者と言われることを、恐怖に近く感じている。今日は、そのことを書こうと思って「身の上話」のカテゴリーに入れたのだが、上手く言葉にできない。書ける範囲で書く。

 以前も書いたが小学生のときオール5を取っても灼熱の部屋に監禁されて机に向かわされたこと。絵が県展で入選しても作品を破り捨てて賞状だけ取っておくような親だった。子供らしい遊びをさせてもらえなかったのだから、せめて、業績だけは認めて欲しかった。

 高校で教師にイジメられて身体が動かなくなったときのこと。その教師は学年主任で独裁政治を引いていたため、担任教師に相談しても粛清されるから何もできないと言われた。家に帰っても、高校の言うことを聞いていれば東大に入れると親は盲目的に信じている。

 そして、精神を病んで精神病院に入院させられ、何かしようとすると注射をされて眠らされる毎日。好きなことを持たされていなかったので、唯一、勉強だけはしたいと思っていた。しかし、そのときの主治医にも、勉強が嫌で落ちこぼれたために学校に行かないと思われ、つまらない中学の問題集をやらされた毎日。

 精神病院から受けに行った大検に合格し、家を追い出されて専門学校で勉強に励んでいた日々。そのときも全優を取って大学への推薦を手に入れたのに、勉強なんて嫌いなものに決まっているから、机に向かっているのはボケッとしているに違いないと言われて大学に行かせてもらえなかったこと…。

 

 今日、こんなことを長々と書いたが、昨日のエントリーで書いたように、これでは単に不幸自慢・露悪趣味になってしまう。しかし、それを一生懸命「芸」の域に持っていっても、それを「余裕派」とか「旦那芸」といわれては堪らんなぁと思った。しかも、それを受け入れるとは、どれだけ度量が広いんだ。

 私が本名も今のペンネームも使っていなかったときのことなので、たぶん、ご本人は忘れていると思うが、原田宗典さんに、それは書くべきことが沢山あるということだと言われた。楽しみもすべて奪われた私に残されたことは、書くことしかない。

 今から小説技法を学んだら、作品ができるのが何歳になるのか判らない。しかも、世間から、どうせ遊んでいるんだろうという目で見られる。しかし、そのことを話した友人に発想が貧困と言われ、そうかと思った。他人のことを自分と同じだと思う。それで他人を下らないと思うことは、自分が下らない人間だからだ。そう思うと、少しは楽になった。

 今日も、勉強が忙しくてコンビニに弁当を買いに行ったら、以前から人を捕まえてはゴロゴロしてるんだろうと脅迫のように言うマンションの自治会長(私のBlogに頻出)に捕まって、ついに自炊もしなくなったか、ヒッヒッヒと言われた。ヒッヒッヒって比喩表現だと思っていたが、本当に、そう言うんだなぁと思った。

 夏目漱石の生涯は50歳。「ホトトギス」に『吾輩は猫である』第1部を発表(掲載)したのが39歳だそうだ。人生90年といわれる現在、拙速なものを作らず精進していきたいと思う(でも、本当に自分が怠惰な人だと思わるのは辛い)。